幕末日本史歴史江戸時代

江戸時代四国の外様藩だった「土佐藩」をわかりやすく歴女が解説

よぉ、桜木健二だ、今回は土佐藩を取り上げるぞ。坂本龍馬とか幕末に志士を輩出した藩だが、どんな藩だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを江戸時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、江戸時代やお城にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、土佐藩について5分でわかるようにまとめた。

1-1、土佐藩とは

土佐藩(とさはん)は、江戸時代から明治初期に廃藩置県となるまで、現在の高知県にあった外様藩のこと。明治初年の正式名称は高知藩(こうちはん)で、藩庁は高知城(現高知市)。江戸時代は配置換えもなく、一貫して山内家(やまうち)が藩主でした。

1-2、土佐藩の成り立ち

四国は讃岐の国(現香川県)、阿波(現徳島県)、伊予の国(現愛媛県)、土佐の国(現高知県)からなっていて、戦国時代は土佐の長曾我部元親が四国をほぼ制覇しました。しかし元親の息子盛親が、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に加担したため改易処分となり、遠江掛川城主だった山内一豊(やまうちかつとよ)が、徳川家康から功績を認められて土佐20万2600石に加増転封となり、土佐藩主に。

「功名が辻」によると、長曾我部盛親も東軍に加担するために家康に使者を送ったが、石田三成の領地の近江の関所で土佐弁丸出しのために疑われて通れず、仕方なく引き返して西軍に付いたが、同じ頃に山内一豊の千代夫人は大坂から三成の書状と夫にあてた手紙を「笠の緒の文」として、近江なまりのある近江出身の使者に託したため、無事に近江の関所を通過し山賊に遭ったもののなんとか届けることが出来、一豊が夫人の指示通りに家康に未開封で見せたことなどで絶大な信頼を得たという、けっこう皮肉なめぐりあわせのある話も。

2-1、土佐藩の歴史

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土佐藩成立から明治4年(1871年)に廃藩置県により高知県となるに至る、幕末までの土佐藩の主な歴史的事件をご紹介しますね。

2-2、長宗我部侍の弾圧

藩祖山内一豊は、慶長6年(1601年)に、掛川から土佐に移封となり浦戸城に入城しました。当時、大幅に加増されて、他地方から入った大名は、人員補充のために地元の元家臣を大量に雇用するのが常でした。

しかし土佐では長宗我部盛親が関ヶ原の敗戦後、改易追放となったため、前年に浦戸城を明け渡すのを拒んだ長曾我部の元家臣たちが反乱を起こして浦戸城に立て籠もって鎮圧された浦戸一揆という事件があったのですね。なので一豊は、新規召し抱えの家臣は上方で募り、重要な役職は主に外来の家臣で固め、一部の有益な長宗我部旧臣だけを懐柔して登用したということです。なので、一領具足を中心とした旧長宗我部氏の家臣団は新領主に反発し、土佐国内のあちこちで一揆を起こすことに。

浦戸一揆とは
慶長5年(1600年)、長曾我部氏の家臣竹内惣右衛門を中心とする一領具足たちが、浦戸城の引渡しを拒否、主君長曾我部盛親に土佐半国を与えろと要求して、城の受取り上使の宿所だった雪蹊寺を1万7千人で包囲。激怒した徳川家康は四国諸大名に土佐への派兵を命じ、新土佐領主内定の山内一豊は弟の山内康豊を鎮圧に派遣したのですね。長曾我部遺臣団側は浦戸城に篭城し50日間ほど抵抗。

徳川方は、長曾我部家臣団の重臣桑名弥次兵衛と蜷川親長と秘密裏に接触、助命する代わりに篭城家臣団を討てと命じたので、野田右京や山川五郎左衛門らの同志らとはかり、城の要所を固めて徳川方に浦戸城を明渡したので、12月1日に動揺した一揆軍は追討軍が浦戸城外で撃破され、降伏

そして273人の一領具足が斬首され、その首は塩漬けにされて、関ヶ原戦後処理担当の大坂の井伊直政のもとへ送られたそう。12月5日に浦戸城の接収作業は完了し、翌年1月に新領主となった山内一豊が浦戸城に入城。

2-3、相撲興行で一揆の残存勢力を鎮圧

慶長6年(1601年)3月1日、新国主入城の祝賀行事の一環として、藩が相撲の興行を開催。土佐中の相撲大好きで力自慢のいごっそうたちが集まり、真剣勝負に大勢の見物客がつめかけたということです。しかし藩の上層部は、前もって浦戸一揆に関係していた一領具足や庄屋を調査していたため、集まった人々のうちの関係者73人を捕られて種崎で磔にしたということ。

これは「功名が辻」ほかでも、力自慢するために集まった無邪気で素朴な相撲好きの一領具足たちを、無残にも山内侍たちが皆殺しにするという衝撃的な事件とされているのですが、史実は上記のようなことだったそうです。

\次のページで「2-5、浦戸一揆、一領具足反乱の背景」を解説!/

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