
「シュトゥルム・ウント・ドラング」って、どんな運動?
18世紀後半まで、ドイツをはじめヨーロッパの芸術で主流となっていたのは古典主義や啓蒙主義でした。
古典主義は、古代ギリシャやローマの時代に生み出された芸術を理想とし、その流れを汲むことです。この時代の作品には統制や調和を重視する傾向があり、古典主義でも調和が大切なものとされました。文学の世界でも、この時代の叙述詩が至高とされていたのです。
啓蒙主義は、人が普遍的にもつ理性に重きを置いた考え方のことをいいます。人を含め、この世界に等しく当てはまる根本法則があり、人の理性によって認識できる、と考えられていました。そのため、感情のような制御できないものは軽視され、論理的で理性的なものが優先されたのです。
シュトゥルム・ウント・ドラングは、これらの考え方に反発した運動でした。どんなに理性的・合理的な考え方を優先しても、人の感情は無視できないという考え方に基づき、理性よりも感情が優越している、という考え方です。この運動が、後のロマン主義へとつながっていきました。
代表作を生み出した「ゲーテ」と「シラー」
シュトゥルム・ウント・ドラングを代表する文豪とされているのが、ゲーテとシラーです。どちらも非常に有名な人物なので、名前を目にする機会も多いと思われます。
ゲーテは裕福な家庭に生まれ、24歳の若さで「若きウエルテルの悩み」を発表しました。この作品が、シュトゥルム・ウント・ドラングの先駆けとなったのです。
「若きウエルテルの悩み」に触発を受けたのが、大変な教養家として知られるシラーでした。シラーは「若きウエルテルの悩み」をはじめとするシュトゥルム・ウント・ドラングの作品に感銘を受け、18歳で「群盗」を執筆します。
ゲーテとシラーがシュトゥルム・ウント・ドラングに関わっていた頃、二人の直接の交流はありませんでした。別々の人生を歩んだ後、晩年に二人は初めて出会い、お互いの考え方に意気投合しました。このときの様子は、ゲーテが自身の作品「詩と真実」で詳しく述べています。やがて、二人は「ドイツ古典主義」という新しい文学ジャンルを確立していきました。
最終的にはシュトゥルム・ウント・ドラングともロマン主義とも異なる方向へ進んだ二人でしたが、二人を結びつけるきっかけとなったのが、シュトゥルム・ウント・ドラングだったのです。
「疾風怒濤」を使いこなそう
この記事では、「疾風怒濤」の意味や使い方、例文について説明しました。使われている漢字が激しいイメージを思い浮かべることが多く、状況や心境を伝えるのにわかりやすい言葉です。
また、訳語であるドイツの文学革新運動シュトゥルム・ウント・ドラングについても解説しました。シュトゥルム・ウント・ドラング自体は、日本語として疾風怒濤を使用する上では特に必要な情報ではありませんが、教養として知っておくと、使える機会があると思います。
状況を形容する言葉としての使い方と一緒に、文学史に関する教養としてシュトゥルム・ウント・ドラングも覚えておくと良いでしょう。