
パナマ運河の建設
太平洋とカリブ海のあいだにあるのがパナマ共和国。もともとフランスの影響下にある国でした。1880年からフランスがすすめていたのがパナマ運河の建設。それがとん挫したため、アメリカが引き取ります。
運河が建設されるパナマ地峡はコロンビア領。アメリカは、地理的な重要性から直接管理することを望みます。そこでアメリカは独立運動家を巻き込み、コロンビアからパナマを独立させて管理権を獲得しました。
海路を充実させて輸出や輸入を促進
パナマ運河の管理権を獲得したアメリカは、そこを拠点に、ヨーロッパやアジア諸国との貿易を加速させていきます。太平洋とカリブ海がつながることで、航路が世界に広がると期待されました。貿易を通じて支配圏が拡大し、帝国が大きくなると考えます。
なかでも合衆国が輸出・輸入を積極的に行ったのがラテンアメリカ諸国。とくに合衆国が製造した加工品や農機具などを輸出し、農業生産物を輸入するパターンがつくられました。輸出・輸入が増えるにともない関税などの法律も共通化。実質的に支配下に置きます。
アメリカの帝国主義2 パンアメリカ主義政策

当時のアメリカは、自国の政策について帝国主義と言わず、パンアメリカ主義と表現しました。パンアメリカ主義とは、合衆国ならびに中南米・カリブ海諸国が一緒になって「共同体」を形成するというもの。合衆国は宗主的位置づけですが、国家間は平等な関係を結んでいるとされました。
パンアメリカ会議の開催
アメリカの帝国主義の特徴は表面的には対等な関係をつくること。対話の場としてパンアメリカ会議、いわゆる首脳会議を開催します。第一回の会議は1889年にワシントンD.C.にて開催。その後は、メキシコシティ、リオデジャネイロ、ブエノスアイレスなど、ラテンアメリカ諸国で開かれました。
パンアメリカ政策はアメリカの帝国主義の一部ですが、首脳会議を開くなど各国を独立国家として認めています。そのため古代ローマ帝国の侵略とはだいぶ雰囲気が異なるでしょう。また、大使館は置かれるものの、統治するわけではありません。そのため植民地主義とも一定の距離があります。
パナマ万国博覧会の開催による発信
第一次世界大戦が激化する1915年に開催されたパナマ万国博覧会は、アメリカの帝国主義=パンアメリカ主義を世界に発信する機会とされます。ここで強調されたのが、合衆国とラテンアメリカ諸国のあいだの友好関係。支配・被支配の関係ではないことがアピールされます。
パナマ万国博覧会では、アメリカの最新の農工具や、ラテンアメリカ諸国の生産物、先住民の伝統文化などを展示。相互理解を促進することがテーマとされます。一見すると、対等の立場でいい関係を作っているように見えますが、実際は合衆国の支配や影響力をアピールするものでした。
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