ドイツの独裁政治を学ぶときに必ず登場するのが「ファシズム」です。「ファシズム」は第二次世界大戦期のヒトラーの政策ナチズムと同義で使われがち。しかし実はイタリアのムッソリーニの政党の考え方が出発点です。

「ファシズム」は、人々の不安が増すときに支持されることが多い思想。歴史的にもさまざまな意味がある「ファシズム」について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「ファシズム」を避けて通ることはできない。「ファシズム」の思想は世界が不安定になるなかで急速に成長した。そんな思想の意味や定義を解説していく。

世界史における「ファシズム」とは?

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世界史のなかでファシズムという用語が出てくるのは独裁政治の話をするとき。主に、イタリアのムッソリーニ政権やドイツのヒトラー政権を説明するときに出てくるでしょう。反対派を弾圧するなど人権が無視される印象が強い言葉です。

「ファシズム」の由来はイタリアの政権

ファシズムという言葉が広く知られるようになったのは、イタリアのムッソリーニが設立した国家ファシスト党が、第一次世界大戦後から第二次世界大戦期にかけて非常に大きな影響力を持ったからです。

国家ファシスト党は排他的な思想を持っていました。民主主義はもちろん社会主義も否定。このような思想は、第一次世界大戦後にヨーロッパを中心に起こった不況から、既存の政権に幻滅した人々を取り込んで拡大していきました。

「ファシズム」はドイツのナチズムも含むように

ファシズムという言葉はイタリアの独裁政権を基本的に指しますが、その意味が拡張されていきます。ドイツのナチス政権をファシズムと呼ぶようになったのはトロツキーなど共産主義圏の思想家たち。「イタリア・ファシズム」「ドイツ・ファシズム」と同じカテゴリーで括ったのが始まりです。

確かにドイツは、広義ではファシズムのひとつのかたち。過激なナショナリズム、軍国主義、反共産主義、敬礼など行動様式の徹底など、共通点はたくさんあります。ただ、ドイツのユダヤ人排斥のような人種差別は、もともとイタリアのファシズムにはありませんでした。

ファシスト党の前身はイタリア戦闘者集団ファッシ

March on Rome 1922 - Mussolini.jpg
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イタリアのファシスト党は経済情勢が悪化したイタリアで生まれました。その起源となるのがイタリア戦闘者ファッシという組織です。これは、当時の復員軍人を中心にミラノで組織化されました。

復員軍人のほか、右翼的な傾向がある学生や未来派に影響を受けた若者も集まります。1919年には未来派のリーダー的存在である詩人マリネッティらが「ファシスト・マニフェスト」を出版。ファシストの要求や考え方を細かく表明しました。

イタリアの政治家ベニート・ムッソリーニが確立

ムッソリーニを中心とする戦闘者集団ファッシは1920年ごろに急速に力を付けます。その理由が、北部イタリアを中心に労働者のストライキが勃発。農村でも。地主への地代の支払いを拒否する農民が増えるなど、イタリア社会が不安定になっていました。

貧民の行動を不安を感じた地主などがファッシと連携を強め、支持基盤をとなっていきます。イタリア戦闘者ファッシはファシスト党と改名し、党員を下院議員に送り込むことに成功。さらに、ローマに向かって威嚇行動をする「ローマ進軍」を実施し、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世から政権交代を許可されました。

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右翼と左翼を超越した全体主義的な思想

このときムッソリーニが理想としたのが右翼と左翼を超越する全体主義を確立すること。通常の国家は、右翼よりの政党と左翼よりの政党が、政権をめぐって争うのが基本です。ファシズムは、一党独裁なので、右翼・左翼の概念は必要ありませんでした。

ファシズムの思想では、ひとつの政党=国家と位置づけられます。国家と等しい力を持つ機関としてファシズム大評議会を設置しました。ただ、この評議会には決定権はないに等しく、ほとんど機能していなかったようです。

戦後の混乱期に生まれたファシスト党

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ファシズムの思想は、過激な考え方を持つ人物が無理やり押し付けたのではなく、社会に渦巻く不安のなかで支持を得たと言えます。それなりの強硬姿勢を示さなければ、現状を打破できないと考える人も少なくなかったのでしょう。

1926年に一党独裁制を確立

ムッソリーニたちファシスト党は政権を獲得してから、一気に一党独裁体制を構築していきます。ファシスト党に有利な法律や制度をつくり、合法的に他の政党を排除。この体制がファシズムと呼ばれるようになりました。

ほかの政党は強制的に解散させられ、労働組合も取り締まりの対象となります。ファシスト党を批判することは許されず、言論の自由も統制されました。しかしながら、「未回収のイタリア」の獲得に成功するなど、ファシスト党は実績を加えていきます。

バチカン市国を独立させて支持基盤を強化

特にファシスト党が気を配ったのがローマ教皇庁とよい関係を築くこと。イタリア王国とローマ教皇庁は主権をめぐって長らく対立関係にありました。それを解消することで、カトリック信者の支持を取り付けようと考えたのです。

1929年、ムッソリーニはカトリックを唯一の国教とすることを認めます。さらにイタリアからバチカンが独立することを認めました。カトリック教育を義務化したり、聖職者の徴兵を免除したりすことで、ファシズムのイメージアップも図ります。

「ファシズム」の語源とは?

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そもそも「ファシズム」とはどのような意味なのでしょうか。そこで、ここで一度立ち止まり、ファシズムの言葉の意味について考えてみたいと思います。

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ラテン語に由来があるイタリア語

ファシズムはイタリア語ですが、その起源をさかのぼるとラテン語に行きつきます。ファッショは「集団」や「結束」を意味するイタリア語。このファッショは、ラテン語であるファスケスに由来します。ファスケスとは、斧のまわりに短い杖を束ねたもので、古代ローマの執政官の権威のシンボルとされていました。

罰を与えたり死刑に処したりするときに、このファスケスが使われることも。そのためファスケスは権威・権力のシンボルと見なされました。イタリアのファシスト党のシンボルにも、古代ローマのファスケスが描かれています。

1919年よりあとに「ファシズム」が使われるようになる

古代ローマのファッシを冠するイタリア戦闘者ファッシが1919年に誕生。1921年に国家ファシスト党が組織化されます。さらに1919年に未来派の詩人らにより「ファシスト・マニフェスト」が出版され、ファシストという言葉が浸透していきました。

ファシズムという言葉が使われるようになったのは、この時期より後とされています。個人よりも集団や国家を上位に置く体制がファシズム。しかしながら、過激な民族主義や政策、独裁的な政権が幅広くファシズムと言われ、定義はあいまいになりました。

世界で広義で使用される「ファシズム」

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ファシズムの思想の出発点はイタリアのファシスト党ですが、第二次世界大戦期の独裁政治を表現するために、拡大解釈されて使用されるようになりました。そのため、イタリアとドイツの独裁政権以外がファシズムと呼ばれることも多々あります。

スペインのフランコ政権もファシズム?

1936年から1939年にかけてスペインで勃発したのがスペイン内戦。左派の人民戦線政府と右派の反乱軍(ナショナリスト派)により争われました。右派の中心人物がフランシスコ・フランコ。右派陣営を支持したのがイタリアやドイツでした。

とくに左派陣営には、ファシズムを批判する知識人が義勇軍に参加。知識人らの発信により、その後にのフランコ独裁政権はファシズムを系譜にあると見なされます。スペイン内戦の終結から30年間のスペインは、ドイツやイタリアの影響化にあることから、ファシスト国家と表現されました。

日本の軍事独裁政権も「ファシズム」と呼ばれる

さらに第二次世界大戦期の日本の軍事中心の体制をファシズムと表現するケースもあります。日本がファシズムと言われるのは、ドイツやイタリアと共に三国軍事同盟を結んでいたから。スペインと同じくドイツやイタリアの影響下にあるため、日本の軍事行動もファシズムに基づくとされたのです。

日本では、政友会と民政党の二大政党制が弱まり、代わりに天皇制を利用した政治手法が台頭。イタリアやドイツとは異なる形ですが、軍部によりある種の独裁が敷かれました。ファシズムの影響がアジアに広がった、それを想起させるのが日本の軍事政権だったのでしょう。

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「ファシズム」の定義とは?

Benito Mussolini being cheered by Fascist Blackshirt youth in 1935
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ファシズムという言葉が持つ意味が広がったこともあり、その定義に関する議論は今でも続いています。ファシズムと言われた政権や政策にはいくつかの共通点が。そのいくつかをご紹介します。

過激なナショナリズムをベースとする国家

ファシズムの基本にあるのは過激なナショナリズムです。ここであえて「過激な」とあるのは、ナショナリズムそのものは、どの国でも見られるから。ナショナリズムが重視する「ネイション」は国家を意味。考え方は右派に位置づけられます。それに対してファシズムは右派と左派を超越する発想でした。

ファシストが考えるナショナリズムは民族原理主義に近いもの。特定の民族しか国家の一員とは認めません。この思想をもとに人種差別的な政策を展開したのがドイツです。イタリアはもともと、人種差別の観点はあまりなかったのですが、ドイツに追従するようになりました。

自由主義を打ち壊す全体主義

ファシズムの特徴として目立つのが自由主義を否定していること。その代わりに、集団主義あるいは全体主義を目指しました。この点は社会主義とやや似ています。ただ、社会主義は労働者階級の理想的な社会を目指すのに対して、ファシズムにはそのような視点はありません。

また、社会主義は、機械的に運営させる社会を目指すもの。独裁者による支配という発想は思想的にはありません。それに対してファシズムは、特定の支配者の権威を重視しました。似ているところもありますが、根っこの部分は異なります。

指導者のカリスマ性を強調

指導者のカリスマ性もファシズムの特徴です。ヒトラーとムッソリーニは絶対的権威を持ったカリスマ。スペインのフランコも同様でしょう。カリスマ性をたたえるために、敬礼や行進などの様式美にこだわる傾向もありました。

これがファシズムの定義とするならば、第二次世界大戦期の日本は、ファシズムに括れない部分があります。天皇制度は日本の伝統。そのため伝統を断絶させて新しいものを作ろうとするイタリアやドイツのファシスト政権とは距離があります。

ファシズムを理解するためには世界史を広い視野で見渡そう

ファシズムは、イタリアのムッソリーニ政権の政治体制や思想がベースにありますが、それがすべてではありません。ファシズムという言葉を使う人の立場や考え方により解釈が変わります。ファシズムを理解するときは、特定の国家の歴史ではなく、世界で起こったさまざまな現象や出来事を包括的に捉えることが必須。ファシズムに限らずいろいろな「主義」を理解するなら、まずは世界史の流れをすべて見渡すことが大切です。

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「ファシズム」とは?思想が生まれた背景や定義を元大学教員がわかりやすく解説

ドイツの独裁政治を学ぶときに必ず登場するのが「ファシズム」です。「ファシズム」は第二次世界大戦期のヒトラーの政策ナチズムと同義で使われがち。しかし実はイタリアのムッソリーニの政党の考え方が出発点です。

「ファシズム」は、人々の不安が増すときに支持されることが多い思想。歴史的にもさまざまな意味がある「ファシズム」について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「ファシズム」を避けて通ることはできない。「ファシズム」の思想は世界が不安定になるなかで急速に成長した。そんな思想の意味や定義を解説していく。

世界史における「ファシズム」とは?

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世界史のなかでファシズムという用語が出てくるのは独裁政治の話をするとき。主に、イタリアのムッソリーニ政権やドイツのヒトラー政権を説明するときに出てくるでしょう。反対派を弾圧するなど人権が無視される印象が強い言葉です。

「ファシズム」の由来はイタリアの政権

ファシズムという言葉が広く知られるようになったのは、イタリアのムッソリーニが設立した国家ファシスト党が、第一次世界大戦後から第二次世界大戦期にかけて非常に大きな影響力を持ったからです。

国家ファシスト党は排他的な思想を持っていました。民主主義はもちろん社会主義も否定。このような思想は、第一次世界大戦後にヨーロッパを中心に起こった不況から、既存の政権に幻滅した人々を取り込んで拡大していきました。

「ファシズム」はドイツのナチズムも含むように

ファシズムという言葉はイタリアの独裁政権を基本的に指しますが、その意味が拡張されていきます。ドイツのナチス政権をファシズムと呼ぶようになったのはトロツキーなど共産主義圏の思想家たち。「イタリア・ファシズム」「ドイツ・ファシズム」と同じカテゴリーで括ったのが始まりです。

確かにドイツは、広義ではファシズムのひとつのかたち。過激なナショナリズム、軍国主義、反共産主義、敬礼など行動様式の徹底など、共通点はたくさんあります。ただ、ドイツのユダヤ人排斥のような人種差別は、もともとイタリアのファシズムにはありませんでした。

ファシスト党の前身はイタリア戦闘者集団ファッシ

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イタリアのファシスト党は経済情勢が悪化したイタリアで生まれました。その起源となるのがイタリア戦闘者ファッシという組織です。これは、当時の復員軍人を中心にミラノで組織化されました。

復員軍人のほか、右翼的な傾向がある学生や未来派に影響を受けた若者も集まります。1919年には未来派のリーダー的存在である詩人マリネッティらが「ファシスト・マニフェスト」を出版。ファシストの要求や考え方を細かく表明しました。

イタリアの政治家ベニート・ムッソリーニが確立

ムッソリーニを中心とする戦闘者集団ファッシは1920年ごろに急速に力を付けます。その理由が、北部イタリアを中心に労働者のストライキが勃発。農村でも。地主への地代の支払いを拒否する農民が増えるなど、イタリア社会が不安定になっていました。

貧民の行動を不安を感じた地主などがファッシと連携を強め、支持基盤をとなっていきます。イタリア戦闘者ファッシはファシスト党と改名し、党員を下院議員に送り込むことに成功。さらに、ローマに向かって威嚇行動をする「ローマ進軍」を実施し、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世から政権交代を許可されました。

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