「ファシズム」は、人々の不安が増すときに支持されることが多い思想。歴史的にもさまざまな意味がある「ファシズム」について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 世界史における「ファシズム」とは?
- 「ファシズム」の由来はイタリアの政権
- 「ファシズム」はドイツのナチズムも含むように
- ファシスト党の前身はイタリア戦闘者集団ファッシ
- イタリアの政治家ベニート・ムッソリーニが確立
- 右翼と左翼を超越した全体主義的な思想
- 戦後の混乱期に生まれたファシスト党
- 1926年に一党独裁制を確立
- バチカン市国を独立させて支持基盤を強化
- 「ファシズム」の語源とは?
- ラテン語に由来があるイタリア語
- 1919年よりあとに「ファシズム」が使われるようになる
- 世界で広義で使用される「ファシズム」
- スペインのフランコ政権もファシズム?
- 日本の軍事独裁政権も「ファシズム」と呼ばれる
- 「ファシズム」の定義とは?
- 過激なナショナリズムをベースとする国家
- 自由主義を打ち壊す全体主義
- 指導者のカリスマ性を強調
- ファシズムを理解するためには世界史を広い視野で見渡そう
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「ファシズム」を避けて通ることはできない。「ファシズム」の思想は世界が不安定になるなかで急速に成長した。そんな思想の意味や定義を解説していく。
世界史における「ファシズム」とは?
By Bundesarchiv, Bild 102-12292 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link
世界史のなかでファシズムという用語が出てくるのは独裁政治の話をするとき。主に、イタリアのムッソリーニ政権やドイツのヒトラー政権を説明するときに出てくるでしょう。反対派を弾圧するなど人権が無視される印象が強い言葉です。
「ファシズム」の由来はイタリアの政権
ファシズムという言葉が広く知られるようになったのは、イタリアのムッソリーニが設立した国家ファシスト党が、第一次世界大戦後から第二次世界大戦期にかけて非常に大きな影響力を持ったからです。
国家ファシスト党は排他的な思想を持っていました。民主主義はもちろん社会主義も否定。このような思想は、第一次世界大戦後にヨーロッパを中心に起こった不況から、既存の政権に幻滅した人々を取り込んで拡大していきました。
「ファシズム」はドイツのナチズムも含むように
ファシズムという言葉はイタリアの独裁政権を基本的に指しますが、その意味が拡張されていきます。ドイツのナチス政権をファシズムと呼ぶようになったのはトロツキーなど共産主義圏の思想家たち。「イタリア・ファシズム」「ドイツ・ファシズム」と同じカテゴリーで括ったのが始まりです。
確かにドイツは、広義ではファシズムのひとつのかたち。過激なナショナリズム、軍国主義、反共産主義、敬礼など行動様式の徹底など、共通点はたくさんあります。ただ、ドイツのユダヤ人排斥のような人種差別は、もともとイタリアのファシズムにはありませんでした。
ファシスト党の前身はイタリア戦闘者集団ファッシ
By Unknown author – Illustrazione Italiana, 1922, n. 45, Public Domain, Link
イタリアのファシスト党は経済情勢が悪化したイタリアで生まれました。その起源となるのがイタリア戦闘者ファッシという組織です。これは、当時の復員軍人を中心にミラノで組織化されました。
復員軍人のほか、右翼的な傾向がある学生や未来派に影響を受けた若者も集まります。1919年には未来派のリーダー的存在である詩人マリネッティらが「ファシスト・マニフェスト」を出版。ファシストの要求や考え方を細かく表明しました。
イタリアの政治家ベニート・ムッソリーニが確立
ムッソリーニを中心とする戦闘者集団ファッシは1920年ごろに急速に力を付けます。その理由が、北部イタリアを中心に労働者のストライキが勃発。農村でも。地主への地代の支払いを拒否する農民が増えるなど、イタリア社会が不安定になっていました。
貧民の行動を不安を感じた地主などがファッシと連携を強め、支持基盤をとなっていきます。イタリア戦闘者ファッシはファシスト党と改名し、党員を下院議員に送り込むことに成功。さらに、ローマに向かって威嚇行動をする「ローマ進軍」を実施し、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世から政権交代を許可されました。
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