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フランスにルネサンスを持ち込んだ「フランソワ1世」をわかりやすく歴女が解説

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なるほど、それで「モナ・リザ」がルーブル美術館にあるのか、歴史って面白いな

4-1、フランソワ1世の逸話

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ジャン・クルーエwartburg.edu, パブリック・ドメイン, リンクによる

ちょっとした逸話をご紹介しますね

4-2、女たらしだった

フランス国王で愛妾がいなかった人はルイ16世くらいだと思いますが、フランソワ1世も、「フランスの歴史を作った女たち」によれば、義父のルイ12世の再婚相手のヘンリー8世の妹マリー・ダングルテール(メアリ・チュダー)と関係があったとか、「私の可愛い仲間」と呼ぶハーレムを持っていたそう。また、美人の誉れ高かったシャトーブリアン伯爵夫人フランソワーズ・ド・フォワを3年ほどかかって口説き落としてしばらく寵姫としたが、捕虜から解放された後はポイ捨てて、母の侍女だったアンヌ・ド・ピスルー・デイリーにエタンプ公爵夫人の称号を与え、新王妃エレアノールを迎えたときもフランソワ1世と一緒に出迎えたということです。

また、ヘンリー8世の2度目の王妃アン・ブーリンもフランソワ1世のクロード王妃に仕えていたことがあり、フランス宮廷仕込みの洗練された女性としてヘンリー8世に見初められたということ。

4-3、フランス病かナポリ病か

イタリア戦争は、火縄銃装備の傭兵隊が主力となって戦った最初の戦争だったということで、ヨーロッパ中の主要国が参戦して国際紛争となったので国際法形成のきっかけになりましたが、また、スペイン人が新大陸から持ち込んだ梅毒が、戦場のナポリを中心に大流行したことでも歴史的な事件となっています。

そしてイタリア人はこの病気を「フランス病」と呼び、フランス人は「ナポリ病」と呼んだことは有名。

尚、フランソワ1世は、1547年3月に57歳で死去。嫡男のフランソワが早世したので次男がアンリ2世として即位。フランソワ1世、ヘンリー8世も梅毒が死因ではと言われています。

イタリア・ルネッサンスをフランスへ持ち込んだ文化的貢献大の国王

フランソワ1世はフランス王家の傍系に生まれたが、国王ルイ12世に娘しか生まれなかったためにフランス国王となった人。

こういう日本で言えば婿養子的な位置の人は有能であればあるほど、何か偉業を達成したいとがんばるものですが、フランソワ1世もご他聞にもれず、イタリア戦争を再開して何度も攻め入り、ハプスブルク家のカール5世にかなりライバル意識を持ち、対抗して神聖ローマ皇帝に立候補したりしました。

そしてイタリアにかぶれちゃって、ロワール渓谷の城、パリのルーブル宮やフォンテーヌブロー宮を建てたり、ダ・ヴィンチを招聘したり、王立教授団を設立したりと芸術文化面でも大活躍。

日本ではカトリーヌ・ド・メディシスの義父として知られる程度だが、フランスでは長身のイケメンで女性関係も派手、そしてなによりフランスにルネサンスを持ち込んだ芸術パトロンの面で評価され、今でも大変人気のある人物だということです。

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angelica