幕末日本史歴史江戸時代

ちょんまげに別れを告げる「文明開化」元大学教員がわかりやすく解説

旧三笠ホテルは、長野県の軽井沢にある歴史的な建造物で、国の重要文化財にも指定されています。設計したのは日本人ですが、純西洋風建築。多くの文化人財界人がとまったことでも知られています。「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれたそう。建物はいろいろな国のスタイルをミックス。建築様式はアメリカスタイルがベースですが、扉のはイギリス風、下見板はドイツ風、用材は小瀬のアカマツを使用したそうです。

散髪、洋服、洋食を推進

「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」はちょんまげの散髪の話。男性は髪を切ることが推奨されました。また、服装も和装から洋装に変える、さらには食文化を変える流れも起こりました。

この流れに乗じたのは一部の富裕層のみ。とくに急激な食生活の変化は受入れが難しかったようです。そのため明治時代の日本は、しばらくのあいだ、西洋風の人と昔ながらのスタイルの人が入り混じっていました。

「文明開化」により登場したアレンジレシピ

「文明開化」は食文化の西洋化を推進しますが、日本人はそれを急に受け入れることはできませんでした。それで西洋の料理をアレンジするメニューが生まれたのです。

カレーはごはんと一緒に食べるスタイルが定着

日本でカレーは、明治時代イギリス料理として伝わりました。カレーをいち早く取り入れたのが軍隊。陸軍幼年学校の昼食としてカレーが登場しました。また海軍でも採用。イギリス式のカレーをアレンジしたのが「横須賀海軍カレー」です。

海外のカレーはお米とカレーは別々に提供されるのが通常。それに対して日本では、お米と一緒に食べるスタイルが定着しました。カレーだけの状態では、当時の日本人には馴染めず、食べなれたお米と一緒に食べさせたのです。カレーは滋養強壮にいいとされ、軍隊のメニューの定番となりました。

肉じゃがはビーフシチューをアレンジ

ビーフシチューをアレンジしたとされるのが肉じゃが。イギリスに留学していた東郷平八郎がビーフシチューに感動して、海軍に取り入れようとしたのがはじまりと言われています。東郷平八郎から話を聞いた料理長が想像で作ったのが肉じゃが。ただ、諸説あるので、本当の起源は定かではありません。

野菜と肉を、醤油や砂糖などの調味料で料理することで、日本人の口に合うようにアレンジされたことは確かでしょう。ちなみに東郷平八郎の名前は、明治37年にはじまった日露戦争の日本軍勝利により瞬く間に世界中に知れ渡り、海軍の英雄となります。

「文明開化」では法律により人々の行動の仕方を制限

文明開化は、人間の無意識の行動の仕方の規制にもおよびました。これまで当たり前のように行われてきたこが法的に禁止され、罰金がとられるケースもでてきます。

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