幕末日本史歴史江戸時代

ちょんまげに別れを告げる「文明開化」元大学教員がわかりやすく解説

「文明開化」は明治政府の政策のひとつ

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文明開化は自然に生まれた近代化ブームではなく、明治政府により仕掛けられたプロモーションです。そのため、産業、文化、軍事、法制度など、さまざまな角度からアプローチされました。

ヨーロッパの一員になることを熱望

明治政府が望んだことは日本がアジアではなくヨーロッパの一員となること。なぜならアジアは文明化されていない未発達の国と考えたからです。そこで政治政府が打ち出したスローガンが「脱亜入欧」でした。

福沢諭吉の『学問のすすめ』でも、日本が近代化する必要があることが説かれました。学者の立場から近代化の必要性を説く諭吉よりも、シンプルに「脱亜入欧」と言いきる方が分かりやすく、こちらの方が広まります。

開国してすぐの日本では、生糸、蚕種、茶などの輸出が増加します。そこで明治政府は近代的な設備をそなえた製糸場の建設を思案するようになりました。そこで建設されたのが富岡製糸場です。フランス人のエドモン・オーギュスト・バスチャンに設計を依頼。その設計図をもとにフランス人の技術者ポール・ブリューナがフランスにもどって機械を調達します。日本では尾高惇忠が責任者となり建設を進めました。となると、富岡製糸場はフランス式の施設ということなんですね。

富国強兵により海外の軍隊を模範とする

明治政府は「富国強兵」というスローガンも立ち上げ、軍事力の強化にも乗り出します。春秋戦国時代、諸侯の国で行われた政策が「富国強兵」。日本でも「富国強兵」の思想そのものは伝統的にありました。

明治時代は徴兵制度や軍制改革を実施。フランス軍やドイツ軍をモデルとしながら、軍隊制度を整えていきました。それが整うと日本はアジアの植民地化に乗り出します。

「文明開化」により西洋風の文化を取り入れる

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「文明開化」の一番の特徴は日本の文化の西洋化です。髪型、洋服、振る舞いなど、いろいろな面に変化が起こりました。「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」はまさにこの現象を指しています。

西洋スタイルの建築物の増加

文明開化により日本の建築の近代化が推進。レンガ造りなど西洋風の建物が増えました。有名なものが鹿鳴館。日本の外務である卿井上馨の方針により建設された西洋館です。ここで国賓や外交官など海外の要人が接待されました。

銀座などにあるデパートの先駆けとなる西洋風の建物もこの時期に建てられ始めています。東京駅の丸の内にあるレンガの駅舎も同様。それと合わせてガス灯がともされるようになり、日本の風景が変化していきます。

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