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初の大西洋無着陸単独飛行の英雄「リンドバーグ」をわかりやすく歴女が解説

2-2、リンドバーグ、単独無着陸飛行を達成しヒーローに

image by PIXTA / 7951622

1927年、リンドバーグは、サンドイッチ5食分と水だけを積み込みました。それで足りるのかと聞かれて、「パリに着けばサンドイッチはいらないし、着かなくてもサンドイッチはいらなくなる」と答えたということです。

リンドバーグは飛行中、メディアの取材攻勢での寝不足がたたり睡魔に襲われて幻覚も見つつ、窓から顔を出してプロペラ機の風に顔を当てて眠気を覚まして操縦を続けたのですが、33時間後、無事にパリのル・ブルジェ空港に着陸、初の大西洋単独無着陸飛行を達成。

この偉業でリンドバーグは、ニューヨーク-パリ間無着陸飛行者に与えられるオルティーグ賞と賞金25000ドルをゲットしただけでなく、15万人のパリ市民の歓迎を受ける大騒動から始まり、アメリカ大統領はリンドバーグのアメリカ帰還のために軍艦を差し回して凱旋帰国したのちは、大統領からは勲章が与えられ、ニューヨークでパレードを行い、さらに全米82都市をまわって歓迎を受け、25歳でアメリカの英雄になったのですね。

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これな、写真やドキュメンタリーで見たことがあるが、ニューヨークのパレードなんか、すごい紙吹雪だったぞ、ものすごい熱狂ぶりだったんだな

「翼よ、あれがパリの灯だ!」はうそだった

リンドバーグは、パリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだとされていますが、これは後世の脚色で、リンドバーグは、自分がパリに着いたこともわからなかったという話です。実際には着陸後、英語圏の人の定番である「誰か英語を話せる人はいませんか?」と聞き、英語がわかる人に対して「ここはパリですか?」と尋ねたという説と、よくあるジョークでしょうが、「トイレはどこですか?」と聞いたという説があるそう。

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そうそう、英語スピーカーは、世界中どこへ行っても英語話せる人いますか?って、もやは自虐ジョークになってるくらいだが、このときからそうだったのかい

2-3、リンドバーグ、メキシコ大使令嬢と結婚

端正なマスクと長身のリンドバーグは、全米屈指の大スターとなり分刻みのスケジュールで動くようになりました。そして1927年、アメリカ親善大使としてメキシコを訪問したとき、メキシコ駐在アメリカ大使ドワイト・モローの次女アンと知り合って、1929年に結婚。アンは夫のリンドバーグの勧めでパイロットや無線通信士の技術を身につけたということ。ふたりの間には1930年、チャールズ・オーガスタス・ジュニアが生まれ、その後次々と4男2女が生まれました。

リンドバーグは航空会社の技術顧問に就任し、アメリカ大陸横断、ニューヨークからロサンジェルスへの航路を開発するため、安全で効率の良いルートを探してアンとともに調査飛行、1929年に、両都市を48時間で結ぶリンドバーグ・ラインと呼ばれる大陸横断航路の旅客機の運航が開始されたということ。

2-4、リンドバーグ夫妻、日本訪問

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不明 – 歴史写真会「歴史写真(昭和6年10月号)」より。, パブリック・ドメイン, リンクによる

リンドバーグ夫妻は昭和6年(1931年)、パン・アメリカン航空から依頼され、アラスカから日本への北太平洋航路の開発調査のために、ニューヨーク、カナダ、アラスカ州を経て日本と中華民国までを飛行しました。
途中8月23日に、日本の国後島、根室、26日には千葉県の霞ヶ浦に降り立ち、その後9月13日には大阪、9月17日に福岡を訪問して大歓迎され、中華民国の南京と漢口まで飛行したそうです。妻のアンはのちにこの体験を「 NORTH TO THE ORIENT」として出版したのですね。

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