その辺のところをアメリカの歴史にも興味を持っているあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。
- 1-1、リンドバーグはミシガン州デトロイト生まれ
- 1-2、リンドバーグの子供時代
- 1-3、リンドバーグ、飛行学校へ入学
- 1-4、リンドバーグ、セントルイスに移住
- 2-1、リンドバーグ、大西洋横断レースに挑戦することに
- 2-2、リンドバーグ、単独無着陸飛行を達成しヒーローに
- 2-3、リンドバーグ、メキシコ大使令嬢と結婚
- 2-4、リンドバーグ夫妻、日本訪問
- 3-1、リンドバーグ・ジュニア誘拐事件
- 3-2、リンドバーグ、第二次世界大戦前夜にナチスを支持
- 3-3、太平洋戦争でのリンドバーグ
- 3-4、第二次世界大戦後のリンドバーグ
- 3-5、リンドバーグ、自然保護に尽力
- 4-1、リンドバーグの逸話
- 4-2、リンドバーグ・ジュニア誘拐事件の謎
- 4-3、リンドバーグの隠し子
- 4-4、人工心臓の開発に協力
- 4-5、孫も大西洋無着陸飛行を成功
- 初の大西洋単独飛行を成し遂げたアメリカン・ドリームの体現者
この記事の目次
ライター/あんじぇりか
子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、アメリカの歴史にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、チャールズ・リンドバーグについて5分でわかるようにまとめた。
1-1、リンドバーグはミシガン州デトロイト生まれ
チャールズ・オーガスタス・リンドバーグは、1902年2月4日にアメリカ合衆国の中部ミシガン州デトロイトで誕生しました。父チャールズは弁護士でしたが、その後共和党から出馬して下院議員となり、母エヴァンジェリンは化学教師。リンドバーグの父は母とは再婚で前の結婚で2人の子供がいて、リンドバーグは父にとっては3番目の子でした。
1-2、リンドバーグの子供時代
リンドバーグは両親が5歳で別居、7歳で離婚した後、ミネソタ州リトルフォールズで成長しました。リンドバーグは母が仕事でいない間、家の中でひとり遊びする子供だったそう。そして近所に住む歯科医で発明家だった祖父の実験室で、化学や機械に夢中になったということで、10歳の時に試験飛行する飛行機を見に行き、空を飛びたいと思ったそう。
そしてリンドバーグは地元で母の務めるリトルフォールズの高校、父のいるワシントンDC、カリフォルニアの高校などを転々とした後、ウィスコンシン大学マディソン校に入学し機械工学を専攻したが2年で中退しています。
1-3、リンドバーグ、飛行学校へ入学
1922年、20歳の時リンドバーグは飛行学校に入学してパイロットを目指しました。在学中にアルバイトで稼いだお金で中古の飛行機を手に入れ、曲芸飛行で「命知らずの空中軽業師」として全米をまわった後、1924年にはアメリカ陸軍飛行学校に入学し、航空隊飛行士としての訓練を受けて翌年には首席で卒業したということです。
1-4、リンドバーグ、セントルイスに移住
リンドバーグは卒業後、当時航空産業の中心だった中西部のミズーリ州セントルイスへ移住し、発足したばかりの民間航空郵便会社のチーフパイロットに就任しました。この民間航空郵便会社のパイロットは最も危険な職業とされていて、夜間飛行は当たり前、天候の悪いときでも飛ぶために墜落死亡事故が後を絶たず、リンドバーグも2度墜落し、かろうじてパラシュートで脱出したことがあるそう。
2-1、リンドバーグ、大西洋横断レースに挑戦することに
不明 – This image is available from the United States Library of Congress‘s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3a23920. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., パブリック・ドメイン, リンクによる
この頃はまだ飛行機の創世記だったので、ニューヨークとパリ間は前人未到の距離でした。そこで命知らずの飛行機野郎が腕を競う大西洋横断のレースが開催されていたのですが、リンドバーグは賞金よりもそのコースを飛んでみたいと挑戦。このレースは遠距離のために、30時間以上未着陸で飛ばなければならず、通常は2人乗りで交代で操縦することになっていましたが、リンドバーグは飛行機の軽量化と安く製造するために飛行機の設計段階から無茶ぶりを注文、1人乗り機で、しかも無線やパラシュートなどもなし、なんと操縦席の前にガソリンタンクを置き、前は見えないが燃料が多く詰めるような飛行機を作ったのでした。
リンドバーグは航空郵便でよく闇夜を飛んだ経験から、メーターを見れば高度などがわかるし高度な操縦技術とともに自身の感覚にも自信があったため、前面の視界がなくても飛行状態が把握できる自信があったから出来たことなのですが、それにしても大胆で自信過剰とすら思えるほどですよね。
尚、このリンドバーグの飛行機はセントルイスの投資家たちの寄付で作られたため、「スピリット・オブ・セントルイス」号と名づけられました。
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