今回は無敵艦隊についてです。無敵艦隊とは、16世紀の栄華を極めたスペインの艦隊のこと。1571年にはレパントの海戦で、オスマン帝国を蹴散らしたことでも知られていますね。ですがその後のイングランドとの戦いでは敗北を喫することになるんです。

それじゃあ当時のスペイン、イングランドに詳しい歴女のまぁこと一緒に解説していくからな。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史の歴史に詳しいアラサー歴女。特にヨーロッパ王室に関する書籍を愛読中。今回は無敵艦隊を保有したスペイン王、フェリペ2世やイングランド女王エリザベス1世が生きた当時の情勢を踏まえながら解説していく。

1 無敵艦隊とは?

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無敵艦隊とは、16世紀に最盛期を迎えたスペインが保有していた艦隊のこと。スペインは大航海時代に培った海上技術、造船技術を用いて強大な海軍を持っていました。そして当時のオスマン帝国が海賊行為を働いていたため、これを撃退するためフェリペ2世の時に彼とローマ教皇、ヴェネツィアの海軍の連合軍で戦いを挑むことに。これはレパントの海戦と呼ばれ、この戦いに勝利したスペインは新大陸からの富によって海軍を増強し、無敵艦隊と恐れられるように。

1-1 太陽の沈まぬ国、スペイン

アルマダの海戦について見ていく前に、当時のスペインとイングランド(次の章にて)について触れておきます。

当時のスペインはフェリペ2世が統治。彼は父カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)からスペインを継承することに。父から継承した領土は、スペイン、ナポリ、ネーデルラント、更にアメリカ大陸やフィリピンなど。フェリペはカトリックの盟主としても知られ、フランス国内の宗教戦争にも関与。他にも異教徒らに対する激しい弾圧を加えました。また母がポルトガル王女だったことから、ポルトガルの王位継承権を主張し、ポルトガルを併合することに。ポルトガルを併合したことで、更に支配エリアは拡大し、スペインは太陽の沈まぬ国となることに。

1-2 メアリと政略結婚したフェリペ

Philip II portrait by Titian.jpg
Workshop of ティツィアーノ・ヴェチェッリオ - http://www.museodelprado.es/imagen/alta_resolucion/P00452.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

さて、フェリペ2世といえば4人の人物と結婚したことでも知られていますね。16歳の時にポルトガルの王女と結婚。しかし幸せな結婚生活はわずか2年で終わり、彼女は産褥熱によって命を落とすことに。残されたのは、不出来な息子1人のみでした。

こうして次の再婚相手になったのが、イングランド女王のメアリ1世。これはカールから命じられたものだったそう。この時フェリペ27歳、花嫁は彼よりも11歳上でした。当時はカトリックとプロテスタントの宗教対立が深刻となることに。特にイングランドはメアリの父ヘンリー8世がカトリック国からプロテスタント国となったため、再びカトリック化する目的の結婚でした。

1-3 メアリとの結婚生活は?

こうして政略結婚することになったフェリペ2世。2人が結婚するのにあたり、このような契約がされることに。メアリはイングランドから出る必要はなく、生まれてくる子どもはイングランド王位を継承すること。更にフェリペの息子、カルロスが仮に亡くなれば、メアリとの子にスペインも継承させるというものでした。

ちなみにメアリはフェリペの祖母、フアナの妹のキャサリンとヘンリー8世の間に生まれた子だったため、2人は遠縁に当たります。フェリペは世継ぎを作るべく、イングランドへ向かうことに。メアリは一度庶子となり、その後も暗殺される危険にさらされていたため、女王に即位した際には実年齢よりも老けて髪も歯も抜けていたそう。フェリペがイングランドへ着いてから半年後にメアリは懐妊することに。ところがこれが想像妊娠で更に卵巣腫瘍が見つかることに。その後フェリペは40歳近くになったメアリに世継ぎを産むのは無理と判断し、裏では次期女王候補のエリザベスに求婚していたそう。

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1-4 レパントの海戦

当時のスペインは大航海時代の技術によって、強力な海軍を持っていました。そんな中、オスマン帝国はフランスと結んで、バルセロナとイタリア間のスペイン船を襲っていました。これに対して危機感を募らせたフェリペとヴェネツィア共和国がローマ教皇に働きかけたことで、この3者(スペインとヴェネツィア、ローマ教皇)の連合艦隊を結成することに。ちなみにこの連合艦隊の総指揮を執ったのは、フェリペの異母弟のドン・ファン。こうして連合艦隊とオスマン帝国はレパント湾で戦い、連合艦隊側が勝利を収めることに。その後もスペインは艦隊を強化していくことに。

2 イングランドの事情

さて、これまでの章では大国スペインについて見ていきました。次にスペインと海上で対決することになったイングランド側を見ていきます。イングランドではヘンリー8世以降、エドワード6世、わずか数日間の女王だったジェーン・グレイメアリ1世と続くことに。このメアリ1世がイギリスを再カトリック化するため、カトリック教徒らに激しい弾圧を加えたことで、国内は荒廃。その後女王となったのがエリザベス1世でした。それでは詳しく見ていきましょう。

2-1 母を父に殺されたエリザベス

Henry VIII and Anne Boleyn.png
Henry VIII is by Hans Holbein the Younger; Anne Boleyn by unknown artist. Uploaded by qp10qp. - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202. And [1]. The image was made by joining together Image:Hans Holbein d. J. 049.jpg and Image:Anne boleyn.jpg., パブリック・ドメイン, リンクによる

エリザベス1世は1度父から王女から庶子へと降格させられたことがある人物。しかしなぜ庶子に格下げされることになったのでしょうか

これは父ヘンリー8世が後継者となる男児誕生を熱望したため。ヘンリーは兄の妃で寡婦だったスペイン王女キャサリンと結婚していました。ところが2人の間に男児は生まれなかったため、ヘンリーは離婚することに。次に妃となったのがエリザベスの母である、アン・ブーリン。しかしアンは男児ではなく女児(エリザベス)を産むことに。これに対して怒ったヘンリーはアンを処刑。こうしてヘンリーは最終的に6人の妃を迎えることに。

2-2 王冠の行方

6人の妃を迎えて、念願だった男児が生まれたヘンリー8世。彼の亡き後は、ジェーン・シーモアとの間に生まれたエドワード6世が王となることに。ところが彼はもともと病弱だったため、夭逝することに。その後王位に就いたのがジェーン・グレイ。ところが次の王位継承順はエドワードの子ども、次にメアリ、エリザベス、最後にジェーン・グレイでした。このジェーンに目をつけたノーサンバラ公が自身の息子とジェーンを結婚させた後に、死の床についていたエドワードに次の王をジェーンとするように促すことに。こうしてエドワードは次期王にジェーンを指名し、死去。ところがメアリが逃亡しその後女王宣言し、ジェーンらを逮捕します。こうしてわずか9日間だけ君臨したイギリス初の女王、ジェーン・グレイは処刑されることに。

2-3 ブラッディ・メアリの時代

メアリが王冠を被ったのは、37歳の時。それまでは庶子に落とされ、父の6番目の妃キャサリン・パーの進言によって王位を回復したのが30歳の時だったそう。エリザベスも同様ですが、王女への身分の回復がとても遅かったことが分かりますね。

メアリは母の影響からカトリックを信仰していました。そんな中、スペインのフェリペとの結婚が決まることに。この結婚の条件で、カール5世は息子フェリペの身の安全のために宗教的安定を要求することに。要するにプロテスタント勢力の一掃を求めました。このためメアリは国教会の解散だけではなく、多くのプロテスタントを弾圧。短い期間の間に300人もの人々を火あぶりに。こうして彼女は「ブラッディ・メアリ(血まみれメアリ)」というあだ名がつくことに。

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2-4 エリザベス1世が即位

メアリ1世が死去すると、25歳のエリザベスが即位。前王のメアリの評判がとても悪かったため、彼女の人気が上がることに。彼女は優秀な家臣らの支えによってイングランドを再びプロテスタント国にします。更に国内にいるカトリック勢力を刺激しないように排除しない政策を取ることに。ところがカトリック勢力は国家転覆を目論み、カトリック教徒でスコットランド女王のメアリ・ステュアートやヴァチカン、スペインらと暗殺を企画しました。

そのため、エリザベスは度々暗殺の危険にさらされることに。彼女の枢密顧問だったセシルのメモに女王へのプレゼント、特に衣装に毒が塗られていないか確認するようにというものが残されていたそう。それほどまでに当時の国内情勢は混乱していたことが伺えますね。

2-5 エリザベスとメアリ・ステュアートの因縁

エリザベスにとって因縁の人物がフェリペ以外にもいました。それはメアリ・ステュアート。彼女はスコットランドの王女でしたが、父王が亡くなったため生後わずか数日でスコットランド女王となることに。その後フランスへ移り、フランス皇太子妃となりましたが、この若き王が亡くなるとスコットランドへ戻されることに。エリザベスは一度庶子へ降格したのに対し、メアリはイングランドの王位継承権を持っていました。このため、メアリはイングランドの統治者と署名し、エリザベスを刺激することに。メアリ側からすれば庶子となったエリザベスよりも自身の方がより継承者にふさわしいと考えていたのでしょう。

その後彼女は自身のスキャンダルからスコットランドから逃れ、なんとイングランドへ逃亡。そんなメアリを幽閉し続けたエリザベスでしたが、メアリが彼女の暗殺計画を企てていることが発覚。これが決定打となり、メアリ・ステュアートは処刑されることに。

2-6 エリザベスから見たフェリペ2世

エリザベス1世とフェリペ2世の関係はメアリとフェリペが結婚したことから、義理の兄、妹となることに。更にフェリペがメアリを見限り、一度はエリザベスに求婚したことも知られています。しかしそんな2人がなぜ後にアルマダの海戦で刃を交えることになったのでしょうか。

これはフェリペのカトリック政策が原因。エリザベスは彼がメアリ1世と結婚した時にフランスとの莫大な戦費をメアリに要求していたことも、これによってヨーロッパ大陸の領土カレーを失う結果になったことも知っていました。そのためスペインに対し大胆な妨害を行うことに。

エリザべスは当時フェリペが弾圧していたネーデルラント北部(現在のオランダ)に対してこっそりと援助をすることにまた当時の貿易では、スペインとポルトガルが支配していました。そんな中、エリザベスは探検家(実情は海賊だった)のドレークと結び、スペイン船を襲ってその富を強奪することに。その額はそれまでのイングランドの年間国家予算を大きく上回るものでした。当然フェリペは海賊船を取り締まるように彼女に要請するが、ちっとも改善されず。その後裏でエリザベスがいたことを知ったフェリペは怒り、イングランドへ艦隊を差し向けることに。

3 スペインとイングランド

Loutherbourg-Spanish Armada.jpg
フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ - 不明, パブリック・ドメイン, リンクによる

スペインとイギリスが争った理由には、エリザベス側からみればフェリペが国内のカトリック化に絡んでいたこと。そのため、メアリ・ステュアートによる女王暗殺計画もフェリペが後ろで糸を引いていました。一方のフェリペからみれば、エリザベスによってスペイン船は海賊から襲われ、豊かな資金源となっていたネーデルラント北部(現在のオランダ)からは激しい抵抗に遭うことに。更にカトリック教徒だったメアリ・ステュアートを処刑されたことを口実に両者は衝突します。

3-1 アルマダの海戦

こうして始まったアルマダの海戦。1585年の5月。リスボンを出航したのは130隻で、出航後はフランドルに北上し、兵士1万7000人を乗せ、総勢3万人でドーヴァー海峡へこれを迎え打つのはイングランドの100隻の船。誰もがエリザベスの敗北を予想しますが、驚きの結末を迎えることに。

スペインは三日月形に陣形を取ってイングランドへ襲い掛かります。スペインの作戦は、真ん中に戦闘力の低い船を配置し、その両側は強い船をつけて進み、敵船に乗り移ったりあるいは上陸して攻め入るという戦法。一方のイギリスは接近を避け、飛距離の長い大砲を放ちました。この戦いでは1週間あまり互いに大きな損害を与えることができず、長期戦へ。そんな中イギリスは奇襲をかけることに。夜スペイン艦隊が停泊していた所へ、なんとイギリスが8隻の船に火を放ったまま突っ込んでくることに。これに大混乱したスペインは一気に劣勢に陥りました。しかしこの時点で両者は引き分けの状態。そんな中艦隊が一度帰還するため、アイルランドの北を廻ってスペインへ向かっている最中に季節外れの嵐に遭うことに。これによって多くの艦隊が沈み、本国へ戻れたのがわずか70隻だったそう。

\次のページで「3-2 勝者イングランド」を解説!/

3-2 勝者イングランド

Elizabeth I (Armada Portrait).jpg
かつてはジョージ・ゴアの作とされていた。 - http://www.luminarium.org/renlit/elizarmada.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうして嵐に遭ったことで敗北したスペインの無敵艦隊。実際にはスペインに勝ったわけではなかったのですが、宣伝上手なエリザベス1世は大きくスペインに対して勝利したことをPRすることに。

この絵画は、ジョージ・ガウアーによる「エリザベス1世」。画面の中のエリザベス女王は、顔を白く塗り、服は過剰な真珠やリボン、ラフと呼ばれたかなり大きめのひだ襟が目立ちますね。真珠は処女を表し、豪華な服は権威の象徴でもありました。余談ですが、彼女はとてもおしゃれ好きで、ドレスのコレクションが数千枚もあったそう。女王の背後にある2枚の絵画はアルマダ海戦の様子が描かれています。つまりこの絵画は大国スペインに小国であったイングランドが勝利したことを表しているんですね。

3-3 没落していくスペイン

一方のスペインはどうなったのでしょうか。アルマダの敗北によって、これまで黄金時代を迎えていたスペインは没落していくことに。かつて栄華を誇ったスペインでしたが、実際には多くの宮廷費と戦費を賄うことができず、フェリペは4度も破産宣告をしたことでも知られています。ちなみに没落のスピードは意外にもゆっくりと進み、彼の孫のフェリペ4世の代でした(彼は無能王という不名誉なあだ名がつけられることに)。その後フェリペの晩年は祈りと日々支配している地方から送られてくる書類仕事に明け暮れたそう。彼は「王ではなく、一介の騎士に生まれつきたかった」と言ったそう。父カール5世と共に日の沈まぬ大国を築いたフェリペでしたが、多くの領土を他国や他宗教から守るため奔走し続けた王はあまり幸せを感じられないようですね。

大国の仲間入りを果たしたイングランド

幾多の困難に見舞われたエリザベス1世でしたが、25歳の時にイングランド女王となりました。当時のイングランドは小国扱いされ、世界の覇権を担っていたのはフランスとスペイン。そんなスペインのフェリペ2世からは求婚されることに。彼女は自身の結婚というカード、異母姉メアリによってカトリック化されたイングランドを再びプロテスタント化することに。更に海賊ドレークらにスペイン船を襲わせ、イングランドの王位継承権を持つメアリ・ステュアートを処刑するなどしました。

そんな中起こったアルマダの海戦。スペインの保有する無敵艦隊アルマダとエリザベスは対決することに。この戦いによってイングランドは勝利を収め、以降大国の仲間入りを果たすことに。一方の敗れたスペインはゆっくりと没落していきました。

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ヨーロッパの歴史世界史歴史

フェリペ2世の「スペイン無敵艦隊」とは?イングランドに敗北した理由も含め歴女がわかりやすく解説

今回は無敵艦隊についてです。無敵艦隊とは、16世紀の栄華を極めたスペインの艦隊のこと。1571年にはレパントの海戦で、オスマン帝国を蹴散らしたことでも知られていますね。ですがその後のイングランドとの戦いでは敗北を喫することになるんです。

それじゃあ当時のスペイン、イングランドに詳しい歴女のまぁこと一緒に解説していくからな。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史の歴史に詳しいアラサー歴女。特にヨーロッパ王室に関する書籍を愛読中。今回は無敵艦隊を保有したスペイン王、フェリペ2世やイングランド女王エリザベス1世が生きた当時の情勢を踏まえながら解説していく。

1 無敵艦隊とは?

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無敵艦隊とは、16世紀に最盛期を迎えたスペインが保有していた艦隊のこと。スペインは大航海時代に培った海上技術、造船技術を用いて強大な海軍を持っていました。そして当時のオスマン帝国が海賊行為を働いていたため、これを撃退するためフェリペ2世の時に彼とローマ教皇、ヴェネツィアの海軍の連合軍で戦いを挑むことに。これはレパントの海戦と呼ばれ、この戦いに勝利したスペインは新大陸からの富によって海軍を増強し、無敵艦隊と恐れられるように。

1-1 太陽の沈まぬ国、スペイン

アルマダの海戦について見ていく前に、当時のスペインとイングランド(次の章にて)について触れておきます。

当時のスペインはフェリペ2世が統治。彼は父カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)からスペインを継承することに。父から継承した領土は、スペイン、ナポリ、ネーデルラント、更にアメリカ大陸やフィリピンなど。フェリペはカトリックの盟主としても知られ、フランス国内の宗教戦争にも関与。他にも異教徒らに対する激しい弾圧を加えました。また母がポルトガル王女だったことから、ポルトガルの王位継承権を主張し、ポルトガルを併合することに。ポルトガルを併合したことで、更に支配エリアは拡大し、スペインは太陽の沈まぬ国となることに。

1-2 メアリと政略結婚したフェリペ

さて、フェリペ2世といえば4人の人物と結婚したことでも知られていますね。16歳の時にポルトガルの王女と結婚。しかし幸せな結婚生活はわずか2年で終わり、彼女は産褥熱によって命を落とすことに。残されたのは、不出来な息子1人のみでした。

こうして次の再婚相手になったのが、イングランド女王のメアリ1世。これはカールから命じられたものだったそう。この時フェリペ27歳、花嫁は彼よりも11歳上でした。当時はカトリックとプロテスタントの宗教対立が深刻となることに。特にイングランドはメアリの父ヘンリー8世がカトリック国からプロテスタント国となったため、再びカトリック化する目的の結婚でした。

1-3 メアリとの結婚生活は?

こうして政略結婚することになったフェリペ2世。2人が結婚するのにあたり、このような契約がされることに。メアリはイングランドから出る必要はなく、生まれてくる子どもはイングランド王位を継承すること。更にフェリペの息子、カルロスが仮に亡くなれば、メアリとの子にスペインも継承させるというものでした。

ちなみにメアリはフェリペの祖母、フアナの妹のキャサリンとヘンリー8世の間に生まれた子だったため、2人は遠縁に当たります。フェリペは世継ぎを作るべく、イングランドへ向かうことに。メアリは一度庶子となり、その後も暗殺される危険にさらされていたため、女王に即位した際には実年齢よりも老けて髪も歯も抜けていたそう。フェリペがイングランドへ着いてから半年後にメアリは懐妊することに。ところがこれが想像妊娠で更に卵巣腫瘍が見つかることに。その後フェリペは40歳近くになったメアリに世継ぎを産むのは無理と判断し、裏では次期女王候補のエリザベスに求婚していたそう。

\次のページで「1-4 レパントの海戦」を解説!/

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