抱月の芸術座はモスクワ芸術座から命名
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A.Savin (Wikimedia Commons · WikiPhotoSpace) – 投稿者自身による作品, FAL, リンクによる
島村抱月の劇団の名前である芸術座はモスクワ芸術座に由来します。モスクワ芸術座は、リアリズム演劇の確立に貢献した劇団。世界の演劇界に強い影響を与えました。演目も、トルストイ、イプセン、シェイクスピアと、抱月の芸術座と共通しています。抱月はトルストイの小説の翻訳でも知られていますが、ロシアの人間の苦悩をあぶりだす演劇スタイルに深い感銘を受けていたのでしょう。
抱月の新劇運動は、歌舞伎を意味する旧劇、書生芝居を意味する新派に対抗するもの。歌舞伎の場合、キャラクターは型が決まっており、リアルな心理描写はありません。新派は、歌舞伎とは違う現代劇として発展しましたが、歌舞伎の影響も残っていました。そこで追求されたのが苦悩する魂を表現すること。ロシアの小説は人間の苦悩の描写にすぐれており、抱月はそれを舞台上で表現することを目指したのでしょう。
島村抱月はスペイン風邪により死去

(Image: courtesy of the National Museum of Health and Medicine, Armed Forces Institute of Pathology, Washington, D.C., United States.) – Pandemic Influenza: The Inside Story. Nicholls H, PLoS Biology Vol. 4/2/2006, e50 https://dx.doi.org/10.1371/journal.pbio.0040050, CC 表示 2.5, リンクによる
ロシア帝国における巡業を成功させた抱月ですが、不幸にもスペイン風邪にかかって亡くなってしまいます。スペイン風邪にかかっていた須磨子の看病をし、うつされてしまった形です。
松井須磨子は抱月のあとを追い自殺
抱月がスペイン風邪で亡くなったのは1918年。急性肺炎が併発したのが死因でした。須磨子は2か月ほど芸術座の巡業を行いますが、抱月のあとを追って自殺。抱月と同じ墓に入れて欲しいと遺言を残しましたが、抱月の妻はそれを受け入れませんでした。須磨子の骨は、故郷である長野県におさめられました。
1918年に大流行したスペイン風邪は、世界中で多数の死者を出したパンデミック。当時の世界の人口の4分の1に該当する5億人が感染したと言われています。死者数は諸説ありますが、1億人を超えたという説もあるほど。スペイン風邪と言われていますが、スペインが発生地であるわけではないようです。アメリカにて最初の流行があり、海軍の移動と共に、ヨーロッパに感染が拡大しました。日本では2,300万ほどの人が感染。そのひとりが不運にも抱月だったというわけです。
島村抱月は日本の近代化の歴史のシンボル
島村抱月は、文芸評論家、翻訳家、演出家、劇作家など、オールマイティに活躍した人物。彼の仕事に一貫しているのは、伝統的な価値観を否定し、新しい芸術を生み出そうとしていることです。大正デモクラシーに代表されるように、大正時代は新旧の考え方がせめぎあっていました。島村抱月は、仕事はもちろん、生き方も含めて、近代人のシンボルだったと言えるでしょう。人物の生き方を通じて、その時代の雰囲気を感じ取れると、歴史のリアリティがさらに増しますので、ぜひ意識してみてください。
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