トルストイ原作の『復活』が大当たり
By Francisco Peralta Torrejón – Own work, CC BY 3.0, Link
抱月の芸術座を有名にしたのがトルストイの小説をもとに抱月が脚色した『復活』の舞台。第一次世界大戦がはじまる1914年(大正3年)に上演されました。この成功をきっかけに抱月と須磨子は快進撃を続けます。
劇中歌「カチューシャの唄」が大ヒット
『復活』が広く受け入れられた理由が劇中歌の大ヒット。須磨子が歌った「カチューシャの唄」はレコード化され、舞台から独り歩きして大ヒットしました。芸術性と大衆性を上手くミックスしたことが芸術座の成功の秘訣。松井須磨子は女優としてはもちろん、歌手としても知られた存在になりました。
「カチューシャの唄」のヒットにより、映画のカチューシャブームが起こります。大正3年に日本キネトフォンの制作で『カチューシャの唄』が公開されました。さらに同年、細山喜代松監督により『カチューシャ』が、翌年に同監督で『後のカチューシャ』『カチューシャ続々篇』が上映されます。トルストイの『復活』や、劇中歌の「カチューシャの唄」は、大正時代の新しい芸術の流れを感じさせるテーマだったのでしょうね。
ヨーロッパ文学の紹介者としても活躍した島村抱月
島村抱月は、翻訳家としての仕事もたくさんしています。当時の日本ではまだ知られていなかった作品を翻訳することで紹介。さらにそれを舞台用に脚色し、興味を持つ人を増やしていきました。
新劇運動の推進は翻訳とワンセット
島村抱月の仕事でとくに有名なのがロシアの文豪であるトルストイの作品の翻訳。『戦争と平和』や『復活』を翻訳・脚色しました。ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』の翻訳も抱月と、さまざまなタイプの作品を翻訳して世に送り出しました。
ヘンリック・イプセン『人形の家』の翻訳も、抱月ならではの成果です。『人形の家』は、家庭に入る女性の生き方に異議を申し立てた作品。『人形の家』の主人公であるノラは、大正時代にあらわれつつあった「新しい女性」に位置づけられました。「新しい女性」とは、男性から自立した、新しい考え方を持つ女性のこと。新しい女性の生き方を代表する松井須磨子と重なる作品でした。
松井須磨子と共にウラジオストクで合同公演を実現
島村抱月と松井須磨子の功績はロシア革命前のロシア帝国にも届きます。ロシア帝国から正式に招待された劇団は、ウラジオストクに赴いて合同公演を成功させました。
\次のページで「抱月の芸術座はモスクワ芸術座から命名」を解説!/