
1960年大統領選におけるジョン・F・ケネディ陣営の戦略

ジョン・F・ケネディは、ボストン市長である父親の支持基盤を引き継ぎ、下院議員として政界入りを果たします。その後、実績を積んだケネディは、1960年に民主党予備選挙に立候補することを表明しました。妹パトリシアの夫が映画俳優だったこともあり芸能界の支持を獲得。華やかな取り巻きと共に予備選勝利に向けて戦いを挑みます。
テレビ討論会はケネディの知名度をアップさせる
1960年9月26日、大統領選挙としては初めてとなるテレビ討論が行われました。そこにジョン・F・ケネディも参加。アメリカ人の有権者に向けて政策をアピールしました。ケネディは視聴者の印象をよくするためにこだわったのがテレビ向けのメイクやファッション。当初は対立候補のニクソンの方が支持率が高かったのですが好印象により逆転、勝利に近づきました。
キング牧師の婦人に電話をかけて黒人勢力の支持を獲得
同時期にアメリカを沸かせていたのが公民権運動。中心人物であるキング牧師がジョージア州アトランタで逮捕されたばかりでした。ケネディ陣営が行ったことはキング夫人に電話をすること。その様子をマスコミに公開しました。さらに弟のロバート・ケネディを介してキング牧師の釈放を後押しします。一連の行動を公開することで黒人層の支持を取り付け、支持基盤をさらに広げました。
大統領就任後のケネディの政策1 宇宙開発競争
By NASA – http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/alsj/a15/as15-88-11963.jpg, Public Domain, Link
大統領に就任したあとのジョン・F・ケネディが力を入れたのが宇宙開発競争への参戦です。1957年にソ連は世界ではじめて、人工衛星スプートニクの打ち上げに成功します。アメリカはソ連に先を越させる形となっていました。
アポロ計画を実行に移すために巨額の予算を投じる
そこでケネディが打ち出したのがアポロ計画です。アポロ計画とは人間を月に送って帰還させるというもの。人工衛星の打ち上げに成功したソ連を追い抜くには、人間を月に送ることがいちばんでした。今では、月に人間が行くことは当たり前となっていますが、当時は無謀な計画であると反対が続出。半数以上のアメリカ人がアポロ計画の推進に反対します。
アメリカ国内の経済活性化のための政策
アイゼンハワー政権の終わりごろからアメリカは不況にみまわれており、ケネディ政権はそれを打破することが求められていました。失業対策や税制改革を行うものの結果はいまいち。ケネディは、アポロ計画が成功することでアメリカ人の士気が高まり、経済的にもいい影響を与えるとも考えました。
\次のページで「大統領就任後のケネディの政策2 ベルリン危機の関与」を解説!/