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合衆国史上最年少の大統領「ジョン・F・ケネディ」とは?生涯・政治家活動を元大学教員が解説

よぉ、桜木建二だ。第35代アメリカ合衆国大統であるジョン・F・ケネディ。合衆国史上もっとも若い年齢で大統領に就任した人物だ。現在の世論調査でも好きな元大統領の上位を行く存在。彼の在任中、キューバ危機、ベルリンの壁の建設、米ソの宇宙開発競争、公民権運動、ベトナム戦争など、次々と世界をゆるがす出来事が起こった。当時は、女性問題を含めて注目度が高かったものの、政策が不十分であると米国民の支持率がどんどん低下していった。

それじゃ、関係する出来事を取り上げながら、ジョン・F・ケネディの政策の結果やその後の評価、世間の興味を集めたスキャンダルなどを、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史を語るときジョン・F・ケネディを避けて通ることはできない。ケネディ元大統領は、今日でも女性問題で有名な人物だが、彼の在任中は世界史的にも重要な出来事が多発している。そこでケネディが関係した政策とその後の評価をまとめてみた。

ジョン・F・ケネディ大統領の幼少期

ジョン・F・ケネディが生まれたのは1917年5月29日。マサチューセッツ州のブルックラインという地区で、アイルランド系移民の息子として生まれました。彼の名前は、ボストン市長を務めた母方の祖父ジョン・F・フィッツジェラルドに由来します。

アイルランド系移民のもと生まれたジョン・F・ケネディ

ケネディ家がアイルランドからアメリカに移住したのは1848年。このときのアイルランドは英国領であり、差別に苦しんでいました。また、飢饉により生活が困窮したことも、移住を後押しします。これらの状況を打破するために、ケネディ家は新大陸アメリカに渡り、事業を成功させました。

ジョン・F・ケネディは病弱な幼少時代を過ごす

ジョン・F・ケネディは、家族と一緒にボストンのブルックライン地区で幼少期を過ごします。小さいころからケネディは病弱で、さまざまな病気に苦しめられました。背骨に障害があり、障害に渡って痛みと戦うことになります。体が弱いことはケネディのコンプレックスであり、成人になってからそれを打破するためにスポーツに打ち込みました。

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ケネディはギリギリの成績でハーバード大学に入学する。厳密には合格ラインには届かなかったが、父親の口利きで入れたそうだ。大学在学中、ケネディは水泳、ヨット、ゴルフに熱中し、健康を回復させていく。

若き日のケネディは海軍士官として働く

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By Collections of the U.S. National Archives, downloaded from the Naval Historical Center [1], Public Domain, Link

ハーバード大学を卒業したあとのジョン・F・ケネディは、陸軍士官候補学校と海軍を受験します。虚弱体質であったことから合格には至りませんでした。しかし、父親の口利きにより海軍士官養成コースに入ることが許されます。1941年のことでした。

ワシントンD.C.の海軍情報局に配属される

その後、ケネディは海軍士官に任命されます。彼が配属されたのはワシントンD.C.の海軍情報局でした。これは父の意向によるもの。海軍情報局であれば戦場に赴く必要がないという理由でした。ケネディが海軍士官になった1941年は第二次世界大戦の最中。日本の真珠湾攻撃が決行されたのも1941年です。そのため海軍に入隊すると戦地に赴く可能性が高く、それを回避するために海軍情報局に入りました。

FBIジャーナリストの女性と恋に落ちる

この時期にケネディはスウェーデン人の女性インガ・アバドと親密な関係になります。インガ・アバドはFBIジャーナリストというキャリアウーマン。ベルリンオリンピックの取材でアドルフ・ヒトラーと面会したことがあり、ナチス支持者やドイツのスパイという噂が出ます。ケネディはインガ・アバドと別れますが、しばらくはこっそり会っていたようです

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