それじゃ、関係する出来事を取り上げながら、ジョン・F・ケネディの政策の結果やその後の評価、世間の興味を集めたスキャンダルなどを、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- ジョン・F・ケネディ大統領の幼少期
- アイルランド系移民のもと生まれたジョン・F・ケネディ
- ジョン・F・ケネディは病弱な幼少時代を過ごす
- 若き日のケネディは海軍士官として働く
- ワシントンD.C.の海軍情報局に配属される
- FBIジャーナリストの女性と恋に落ちる
- 1960年大統領選におけるジョン・F・ケネディ陣営の戦略
- テレビ討論会はケネディの知名度をアップさせる
- キング牧師の婦人に電話をかけて黒人勢力の支持を獲得
- 大統領就任後のケネディの政策1 宇宙開発競争
- アポロ計画を実行に移すために巨額の予算を投じる
- アメリカ国内の経済活性化のための政策
- 大統領就任後のケネディの政策2 ベルリン危機の関与
- ベルリンの壁の建設
- 共産主義から西ベルリンを防衛することがミッション
- 大統領就任後のケネディの政策3 キューバ危機の回避
- 核戦争勃発に向かうと言われたキューバ危機
- ケネディは巧みな駆け引きによりキューバ危機を回避
- 大統領就任後のケネディの政策4 ベトナム戦争の拡大
- ベトナムへの軍事介入を拡大させるも失敗続き
- 国内経済を逼迫させていると世論は反発
- 在職中はスキャンダルが多発したジョン・F・ケネディ
- マリリン・モンローとのシークレットラブ
- シカゴ・マフィアの愛人との不倫も
- ジョン・F・ケネディは激動の時代について行けなかった大統領
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史を語るときジョン・F・ケネディを避けて通ることはできない。ケネディ元大統領は、今日でも女性問題で有名な人物だが、彼の在任中は世界史的にも重要な出来事が多発している。そこでケネディが関係した政策とその後の評価をまとめてみた。
ジョン・F・ケネディ大統領の幼少期
By Carol M. Highsmith – Library of Congress Catalog: http://lccn.loc.gov/2011630152 Image download: https://cdn.loc.gov/master/pnp/highsm/11900/11956a.tif Original url: http://hdl.loc.gov/loc.pnp/highsm.11956, Public Domain, Link
ジョン・F・ケネディが生まれたのは1917年5月29日。マサチューセッツ州のブルックラインという地区で、アイルランド系移民の息子として生まれました。彼の名前は、ボストン市長を務めた母方の祖父ジョン・F・フィッツジェラルドに由来します。
アイルランド系移民のもと生まれたジョン・F・ケネディ
ケネディ家がアイルランドからアメリカに移住したのは1848年。このときのアイルランドは英国領であり、差別に苦しんでいました。また、飢饉により生活が困窮したことも、移住を後押しします。これらの状況を打破するために、ケネディ家は新大陸アメリカに渡り、事業を成功させました。
ジョン・F・ケネディは病弱な幼少時代を過ごす
ジョン・F・ケネディは、家族と一緒にボストンのブルックライン地区で幼少期を過ごします。小さいころからケネディは病弱で、さまざまな病気に苦しめられました。背骨に障害があり、障害に渡って痛みと戦うことになります。体が弱いことはケネディのコンプレックスであり、成人になってからそれを打破するためにスポーツに打ち込みました。
若き日のケネディは海軍士官として働く
By Collections of the U.S. National Archives, downloaded from the Naval Historical Center [1], Public Domain, Link
ハーバード大学を卒業したあとのジョン・F・ケネディは、陸軍士官候補学校と海軍を受験します。虚弱体質であったことから合格には至りませんでした。しかし、父親の口利きにより海軍士官養成コースに入ることが許されます。1941年のことでした。
ワシントンD.C.の海軍情報局に配属される
その後、ケネディは海軍士官に任命されます。彼が配属されたのはワシントンD.C.の海軍情報局でした。これは父の意向によるもの。海軍情報局であれば戦場に赴く必要がないという理由でした。ケネディが海軍士官になった1941年は第二次世界大戦の最中。日本の真珠湾攻撃が決行されたのも1941年です。そのため海軍に入隊すると戦地に赴く可能性が高く、それを回避するために海軍情報局に入りました。
こちらの記事もおすすめ
世界を巻き込んだ人類史上最大の戦争「第二次世界大戦」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説
FBIジャーナリストの女性と恋に落ちる
この時期にケネディはスウェーデン人の女性インガ・アバドと親密な関係になります。インガ・アバドはFBIジャーナリストというキャリアウーマン。ベルリンオリンピックの取材でアドルフ・ヒトラーと面会したことがあり、ナチス支持者やドイツのスパイという噂が出ます。ケネディはインガ・アバドと別れますが、しばらくはこっそり会っていたようです
\次のページで「1960年大統領選におけるジョン・F・ケネディ陣営の戦略」を解説!/