人が亡くなると天国や地獄に行くっていうのはよく聞くよな。ただ、「天国」って聞くと、天使が飛んでるようなキリスト教的な「あの世」のほうをイメージするんじゃないか?もちろん、仏教にも「天国」に相当するものはあるぞ。それは「浄土」と言うんです。

今回はこの「浄土」がどういうところか、そして、この「浄土」へ往生しようと願う「浄土信仰」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は源義経をテーマに執筆。平安時代は得意分野。

1.浄土はどこにあるの?

image by PIXTA / 56644140

さて、今回のテーマとなる「浄土信仰」の「浄土」とは、いったいなんでしょうか?

冒頭で桜木先生がおっしゃったように、「浄土」はいわゆる「天国」のようなところです(天使は飛んでいませんが)。ただし、これは本当に簡単に言い表しただけにすぎません。キリスト教の「天国」と仏教の「浄土」は似ているようで、まったく違うのです。

今章は「浄土」についてわかりやすく説明していきましょう。

悲劇の王妃「韋提希」がみた浄土

仏教発祥の地はインドというのはご存知でしょうか?紀元前五世紀前後、北インドに生まれた「ガウタマ・シッダールダ(釈迦)」がブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開き、悟りの内容を世の人々に広めたのが始まりでした。

「浄土」の話が書かれたのは「観無量寿経(観経)」という経典です。

「観無量寿経」によると、お釈迦様がまだ生きていたころに、インドのマガダ国の王子阿闍世(アジャータンシャトル)が王位を奪おうとして父王を捕えて餓死させるというクーデターが起こりました。王妃の「韋提希(ヴァイデーヒー)」は夫を救おうと手を尽くしますが、それが阿闍世の怒りを買って幽閉されてしまいます。幽閉された韋提希は、このとき郊外の霊鷲山山頂の僧院にいたお釈迦様に救いを求めて祈りました。すると、神通力で韋提希の祈りを知ったお釈迦様は、また神通力を使って韋提希の部屋に現れたのです。

韋提希はお釈迦様に「極楽世界の阿弥陀仏のもとに生まれたい」と願いました。そこでお釈迦様は極楽の様子や、阿弥陀仏や菩薩たちの姿、さらに、浄土に生まれるためのの十六種類の観法(瞑想法)「十六観」を説いたのです。

日本人の耳に馴染んだ「南無阿弥陀仏」の意味

韋提希のお話で「阿弥陀仏」という仏様が極楽世界にいるとわかりましたね。さて、この「阿弥陀(あみだ)」という言葉には聞き覚えがありませんか?

お坊さんの読経や、あるいは何か怖いことがあったときに「なむあみだぶつ~」と唱えているのを聞いたことがあると思います。これを漢字に直すと「南無阿弥陀仏」。「南無~」は「~に帰依(信仰)しています」という意味なので、この文言は「(私は)阿弥陀仏に帰依しています」となります。

日本人の耳に慣れた言葉ですが、では、この「阿弥陀仏」とはいったいどのような仏様なのでしょうか?

極楽浄土の阿弥陀仏

結論を先に言ってしまうと、阿弥陀仏はこの宇宙に存在する仏の中でも抜きんでた力を持ったすべての仏の先生です。当然、お釈迦様も阿弥陀仏の弟子でした。

阿弥陀仏が先生とされる由来は、阿弥陀仏が悟りを開く際に立てた48の本願にあります。それは「生きとし生けるものすべてを幸せにする」という内容で、お釈迦様をはじめ、他の仏には実現不可能なものだったのです。だから、これほどまで尊い誓願を成就させた阿弥陀仏がすべて仏の先生となったのでした。

そして、阿弥陀仏がいるのが「西方極楽浄土」なのです。

西の浄土があるなら、東の浄土はあるの?

ありますよ!

西の「阿弥陀如来」の「西方極楽浄土」に対して、東は「薬師如来」がいらっしゃる「東方浄瑠璃浄土」といいました。

薬師如来は12の大願を立て、すべての人々の病苦を救うとされています。病を治す薬を与える医薬の仏様ですから、現世利益信仰を集める珍しい仏様なのです。

また、浄土はこのふたつだけではありません。「弥勒菩薩の弥勒浄土(兜率天)」に「文殊浄土」、「観音浄土」といろいろとあります。

ただし、日本で「浄土」と言う場合、阿弥陀仏の西方極楽浄土をイメージすることが多いです。

浄土はどんなところ?

「浄土」は、仏教における煩悩やけがれのない、とても清浄で清涼な仏の世界(国)とされています。「西方極楽浄土」は遠い昔に阿弥陀仏が悟りを開いたあとにつくられ、人々を救うために阿弥陀仏は今もここで説法をしているのです。

浄土の大地は黄金で、七宝の池は「八功徳水」という清らかな水で満たされ、天からは華の雨とすてきな音楽が流れてきます。ここに住む人々も素晴らしく、不安も苦痛もありません。

「浄土信仰」では、人が亡くなると浄土へ行くとされていますが、臨終の際に阿弥陀仏や菩薩たちが金の雲に乗って迎えにあらわれます。これを「来迎」といいました。

浄土の環境はすべて、ここに迎えられた人々が修行するために阿弥陀仏が慮ったものです。邪魔するもののないところで、心安らかに悟りを開きなさい、ということですね。

余談ですが、清らかな「浄土」に対して、煩悩でけがれた現実の世界(現世)を「穢土」といいます。

\次のページで「極楽浄土の再現」を解説!/

極楽浄土の再現

Phoenix Hall.jpg
Sergeisemenov - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

京都府宇治市の「平等院鳳凰堂」という有名なお寺がありますね。十円玉に描かれているお寺です。平等院鳳凰堂はもともと1052年に当時の関白藤原頼通が自身の別荘をお寺に改めたものでした。

実は、平等院鳳凰堂は「観無量寿経」に書かれた浄土の宮殿を再現したものなんです。

写真のように、園池の奥に屋根に鳳凰をつけた阿弥陀堂(現鳳凰堂)という配置で、これを「浄土式庭園」といいます。参拝者は池の向こうに極楽浄土を見るんですね。

2.「浄土信仰」の広まり

始まりはやっぱりインド

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浄土信仰」自体の歴史は古く、インドで「大乗仏教」がさかんになった時代にまでさかのぼります。「大乗仏教」は修行している僧侶が己ひとりではなく、生きとし生けるものすべてが救われると考える仏教の大きな流れのひとつです。

そうして、紀元前100年ごろに大乗仏教の経典として『無量寿経』と『阿弥陀経』が編まれるのですが、「浄土教」はインドでは宗派のひとつとして成立しません。

2世紀後半に中国に浄土信仰の経典が伝えられ、5世紀になってようやく「白蓮社」という念仏結社ができたのです。そこから浄土思想が確立していくのですが、しかし、やっぱり中国でも主流の宗派とはなりませんでした。

「浄土信仰」、日本へ伝来

そんななか、日本へは七世紀前半(飛鳥時代)に浄土信仰が伝わって、阿弥陀仏の仏像がたくさん作られました。その後、奈良時代を経て平安時代へと受け継がれていきます。

平安時代に入って、時の桓武天皇は国の中心となる新たな宗派を探しました。そうして見出されたのが「最澄」の「天台宗」です。比叡山の天台宗の修法のひとつ「常行三見昧」に基づいた念仏が広がったことにより、各寺に念仏衆が集まるようになりました。

庶民を救済したい「私度僧」の出現

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平安時代のお寺は、基本的に国の管理下にありました。なので、僧侶も「官僧」といって、今でいう公務員だったのです。公務員なので、その仕事は国のために行われますよね。そのため、何の位も持たない庶民の救済ができない状態にありました。

僧侶のなかには人々のために活動したい人だっています。それで官僧をやめて、個人的に仏教活動をはじめる「私度僧」があらわれました。また、私度僧で、お寺に所属していない知徳の優れた僧侶を「聖(ひじり)」と呼びます。

\次のページで「阿弥陀聖「空也」」を解説!/

阿弥陀聖「空也」

下級貴族・慶滋保胤(よししげのやすたね)が書いた日本最初の往生伝『日本往生極楽記』には聖徳太子をはじめ、極楽浄土へ生まれ変わったとされる45人の伝記が書かれています。そのなかに、民衆に念仏を広めたのは「空也(くうや)」だと記録されていました。

空也は尾張の国分寺で出家した僧侶とされています。若い頃から旅の聖となって諸国をめぐり、各地で橋やお寺をつくったり、井戸を掘ったりしていました。こうした空也の行いを見た人々は、身分の関係なく空也に帰依していきました。空也が胸に提げた鉦を叩きながら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えると人々は踊ったので、それが「踊念仏」のはじまりとされています。

空也が平安京で活動したのは938年から972年のこと。平安時代の中期ごろですね。空也が都に来る以前、人々はあまり念仏を口にしませんでした。空也は阿弥陀信仰と念仏の普及に尽力したため「阿弥陀聖」、あるいは、民間で布教活動を行ったため「市聖」と呼ばれます。

日本の浄土教の祖・源信と『往生要集』

天台宗の僧侶「源信(げんしん)」は、985年に『往生要集』という書物を書き上げました。『往生要集』には極楽浄土や地獄の様子が書かれ、日本人の浄土観と地獄観に大きな影響を与えます。

また、『往生要集』で源信は、「極楽浄土へ行くには、念仏を一心に唱える以外ない」と説きました。これが念仏思想の基礎となり、のちの「浄土宗」の「法然」や「浄土真宗」の「親鸞」に大きな影響を与えます。そのため、源信は日本の浄土教の祖といわれるのです。

3.末法の世の到来

『平治物語絵巻』三条殿焼討
? - 平治物語絵巻, パブリック・ドメイン, リンクによる

平安末期、荒れる末法の世

平安時代末期に到来した「末法の世」により、荒廃の時代となります。

そもそも、「末法」とは何かといいますと、お釈迦様が亡くなられて2000年後のことで、「末法の世」では仏教の教えは残っていても、それを正しく修行して悟りに到達する人がまったくいなくなってしまうのです。

悟りを開けないことがどれくらいマズいか

なぜ悟りが開けないとマズいのかというと、仏教の世界の大きな枠として「輪廻」があるからでした。輪廻とはこの世の中に生きているすべての命が何度も転生を繰り返すことで、転生先には六つの世界があります。それは上から天人の「天道」、人間の「人間道」、阿修羅の「修羅道」、動物の「畜生道」、餓鬼の「餓鬼道」、そして最下層の「地獄」です。この六つの世界には多かれ少なかれ、必ず苦しみがありました。

悟りを開くことにより、輪廻から外れる(解脱)ことができるのです。しかし、末法の世ではそれができなくなる、つまり、何度生まれ変わっても苦しみ続けるということでした。

\次のページで「迷信じゃない?乱れる世の中」を解説!/

迷信じゃない?乱れる世の中

日本で末法の世が始まるのは1052年から。ですが、「末法の世なんて迷信」だと思いませんか?ところが、ここからはっきりと世の中が乱れていくのがわかります。

朝廷では摂関政治を行っていた藤原氏の権勢が弱まり、後三条院(引退した第71代天皇)が政治を執る「院政」が始まりました。仏教界では武装した僧兵が強訴を起こしたりと腐敗が進んでしまいます。

さらに平安時代末期に近づくと保元の乱、平治の乱と短い期間に続いて、平清盛をはじめとした武士の台頭、その後は六年に及ぶ源平合戦、そして、鎌倉幕府の誕生と続くのです。まさに激動の時代ですね。

政権は変わり、戦乱は続く。しかも、いくら努力しても悟りを開くことはできないから、来世も救われないわけで。苦しみが続き、救いもないことに絶望した人々は、どんどん末法思想にはまり込んでいってしまうのです。

浄土教ブーム到来

そんなとき、人々の間に広がっていったのが「浄土信仰」でした。「浄土信仰」では、念仏を一心に唱えると、来世は六道のなかのどこかではなく、阿弥陀仏のお力で西方極楽浄土に生まれ変われるのです。そして、浄土で阿弥陀仏の説法を聞き、修行することで悟りを開けるようになるのでした。

多くの人々が「浄土信仰」に希望を託した結果、庶民から貴族まで浸透し、一大ブームとなったのでした。

絶望の中、人々に求められた「浄土信仰」

「浄土信仰」の歴史は古く、最初はお釈迦様の生きていた古代のインドにまでさかのぼります。そこから中国を経て日本へ伝来し、飛鳥時代から受け継がれてきました。一大ブームといえるほど爆発的に大きくなったのは、平安時代末期。「末法の世」と呼ばれるつらい時代です。人々は現世での苦しみ、そして来世の苦しみから脱出するため、阿弥陀仏に帰依して念仏を唱えたのでした。

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平安時代日本史歴史

清らかな仏の世界へ行くための「浄土信仰」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

人が亡くなると天国や地獄に行くっていうのはよく聞くよな。ただ、「天国」って聞くと、天使が飛んでるようなキリスト教的な「あの世」のほうをイメージするんじゃないか?もちろん、仏教にも「天国」に相当するものはあるぞ。それは「浄土」と言うんです。

今回はこの「浄土」がどういうところか、そして、この「浄土」へ往生しようと願う「浄土信仰」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は源義経をテーマに執筆。平安時代は得意分野。

1.浄土はどこにあるの?

image by PIXTA / 56644140

さて、今回のテーマとなる「浄土信仰」の「浄土」とは、いったいなんでしょうか?

冒頭で桜木先生がおっしゃったように、「浄土」はいわゆる「天国」のようなところです(天使は飛んでいませんが)。ただし、これは本当に簡単に言い表しただけにすぎません。キリスト教の「天国」と仏教の「浄土」は似ているようで、まったく違うのです。

今章は「浄土」についてわかりやすく説明していきましょう。

悲劇の王妃「韋提希」がみた浄土

仏教発祥の地はインドというのはご存知でしょうか?紀元前五世紀前後、北インドに生まれた「ガウタマ・シッダールダ(釈迦)」がブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開き、悟りの内容を世の人々に広めたのが始まりでした。

「浄土」の話が書かれたのは「観無量寿経(観経)」という経典です。

「観無量寿経」によると、お釈迦様がまだ生きていたころに、インドのマガダ国の王子阿闍世(アジャータンシャトル)が王位を奪おうとして父王を捕えて餓死させるというクーデターが起こりました。王妃の「韋提希(ヴァイデーヒー)」は夫を救おうと手を尽くしますが、それが阿闍世の怒りを買って幽閉されてしまいます。幽閉された韋提希は、このとき郊外の霊鷲山山頂の僧院にいたお釈迦様に救いを求めて祈りました。すると、神通力で韋提希の祈りを知ったお釈迦様は、また神通力を使って韋提希の部屋に現れたのです。

韋提希はお釈迦様に「極楽世界の阿弥陀仏のもとに生まれたい」と願いました。そこでお釈迦様は極楽の様子や、阿弥陀仏や菩薩たちの姿、さらに、浄土に生まれるためのの十六種類の観法(瞑想法)「十六観」を説いたのです。

日本人の耳に馴染んだ「南無阿弥陀仏」の意味

韋提希のお話で「阿弥陀仏」という仏様が極楽世界にいるとわかりましたね。さて、この「阿弥陀(あみだ)」という言葉には聞き覚えがありませんか?

お坊さんの読経や、あるいは何か怖いことがあったときに「なむあみだぶつ~」と唱えているのを聞いたことがあると思います。これを漢字に直すと「南無阿弥陀仏」。「南無~」は「~に帰依(信仰)しています」という意味なので、この文言は「(私は)阿弥陀仏に帰依しています」となります。

日本人の耳に慣れた言葉ですが、では、この「阿弥陀仏」とはいったいどのような仏様なのでしょうか?

極楽浄土の阿弥陀仏

結論を先に言ってしまうと、阿弥陀仏はこの宇宙に存在する仏の中でも抜きんでた力を持ったすべての仏の先生です。当然、お釈迦様も阿弥陀仏の弟子でした。

阿弥陀仏が先生とされる由来は、阿弥陀仏が悟りを開く際に立てた48の本願にあります。それは「生きとし生けるものすべてを幸せにする」という内容で、お釈迦様をはじめ、他の仏には実現不可能なものだったのです。だから、これほどまで尊い誓願を成就させた阿弥陀仏がすべて仏の先生となったのでした。

そして、阿弥陀仏がいるのが「西方極楽浄土」なのです。

西の浄土があるなら、東の浄土はあるの?

ありますよ!

西の「阿弥陀如来」の「西方極楽浄土」に対して、東は「薬師如来」がいらっしゃる「東方浄瑠璃浄土」といいました。

薬師如来は12の大願を立て、すべての人々の病苦を救うとされています。病を治す薬を与える医薬の仏様ですから、現世利益信仰を集める珍しい仏様なのです。

また、浄土はこのふたつだけではありません。「弥勒菩薩の弥勒浄土(兜率天)」に「文殊浄土」、「観音浄土」といろいろとあります。

ただし、日本で「浄土」と言う場合、阿弥陀仏の西方極楽浄土をイメージすることが多いです。

浄土はどんなところ?

「浄土」は、仏教における煩悩やけがれのない、とても清浄で清涼な仏の世界(国)とされています。「西方極楽浄土」は遠い昔に阿弥陀仏が悟りを開いたあとにつくられ、人々を救うために阿弥陀仏は今もここで説法をしているのです。

浄土の大地は黄金で、七宝の池は「八功徳水」という清らかな水で満たされ、天からは華の雨とすてきな音楽が流れてきます。ここに住む人々も素晴らしく、不安も苦痛もありません。

「浄土信仰」では、人が亡くなると浄土へ行くとされていますが、臨終の際に阿弥陀仏や菩薩たちが金の雲に乗って迎えにあらわれます。これを「来迎」といいました。

浄土の環境はすべて、ここに迎えられた人々が修行するために阿弥陀仏が慮ったものです。邪魔するもののないところで、心安らかに悟りを開きなさい、ということですね。

余談ですが、清らかな「浄土」に対して、煩悩でけがれた現実の世界(現世)を「穢土」といいます。

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