

彼の名前は「パブロフの犬」という言葉でよく知られているが、どんな人生を送った人物なのか知っているだろうか?条件反射の研究背景とともに紹介しよう。
大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/小野塚ユウ
生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。
パブロフ
パブロフはフルネームをイワン・ペトローヴィチ・パブロフ(Ivan Petrovich Pavlov)といいます。19世紀から20世紀にかけて活躍したソ連の生理学者です。
生涯
1849年、パブロフは当時ロシア帝国のリャザンという街で生まれました。11人兄弟の長男だった彼は、幼いころから好奇心旺盛だったといいます。
11歳から学校に通い、1870年には名門であるサンクトペテルブルク大学へ進学。物理や数学を学ぶうち、医学へ興味を抱くようになったパブロフは、外科医に弟子入りして医師を目指すようになります。1876年に軍の医学校へ進学し、1879年に医師の資格を得ました。
1884年から数年間は医学の本場であるドイツへ留学し、ライプチヒ大学やブレスラウ大学で学んでいます。

ライプチヒ大学ではルドウィッヒ、ブレスラウ大学ではハイデンハインに師事した。ルドウィッヒもハイデンハインは、いずれも著名な生理学者だ。
著名な研究者の下で優れた技術を身に着けたパブロフは、ロシアに戻って生理学研究をリードする存在になっていきました。
1890年からは軍医大学校で教授に就任。翌年には実験医学研究所の生理学実験室長をまかされ、兼務しています。消化腺などの生理学的な研究を中心に行い、自身の研究に関する本も出版しました。
1902年からはパブロフの代名詞となった条件反射の研究を行うようになり、これが評価されて1904年にノーベル賞生理学・医学賞を受賞します。

パブロフはロシア人で初めてのノーベル賞受賞者となったんだ。