細胞を顕微鏡で初めて観察したのはイギリスの科学者ロバート・フックといわれています。1665年のことで、コルクを薄く切ったものを観察したところ、小さな部屋のような仕切りがたくさんあるのが見えました。死んだ植物の細胞壁だったわけですが、フックはこの構造を「cell」と名付けます。
同じころ、オランダのレーウェンフックはオリジナルの顕微鏡で微生物や赤血球といった、生きた細胞を発見してスケッチをしました。
それから200年ほどたった1838年、ドイツのシュライデンが「植物の体は細胞を基本単位として成り立っている」と提唱。翌年にはシュワンが「動物の体も細胞が基本単位となっている」と発表しました。シュライデンやシュワンの説は、フィルヒョーがまだ学生の頃に提唱された最新の学説だったのです。
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19世紀ごろまで病気のとらえ方として主流だったのは、古くから信じられていた体液病理説(または液体病理説)でした。体液病理説では、人の体の中にある数種類の体液のバランスが崩れることで病気が生じると考えます。
古代ギリシアのガレノスは体液を「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」の4種類に分け、それ以前の体液病理説を四体液説として発展させました。中世ヨーロッパでも体液病理説は根強く、病気の治療法のみならず、占星術と結びつけられたり、人の気質は体液の過不足によるとみなされていたのだそうです。
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Tom Lemmens – File:4 body fluids.PNG, CC0, リンクによる
2000年近くたった19世紀になってもなお、紀元前に生み出された体液病理説が信じられていました。
ここにきて、フィルヒョーの提唱した細胞病理説がどれだけ画期的だったかがわかるでしょう。彼は『細胞病理学』という本を出版し、病変した細胞のスケッチなどを交えながら、体液病理説を否定したのです。
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