生物学

科学者「フィルヒョー」って何した人?現役講師がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は19世紀に活躍した科学者フィルヒョーについて学んでいこうと思う。

高校生がフィルヒョーの名前を耳にするのは、生物基礎の初め、細胞説を学習するタイミングだろうな。実は、フィルヒョーの重要な功績は細胞説云々よりも、医師として”細胞と病気を結び付けた”ところにあるんだ。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

フィルヒョー

フィルヒョーは19世紀にドイツで活躍した医師で科学者です。フルネームはルードルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョー(Rudolf Ludwig Karl Virchow)といい、「フィルヒョウ」や「ヴィルヒョー」などと表記されることもあります。

この記事中では名前を「フィルヒョー」に統一することにしましょう。

生涯

フィルヒョーは1821年10月に、プロイセン王国のポンメルン地方にあるシフェルバインという街に生まれました。兄弟はなく、一人っ子だったといいます。

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シフェルバインは、現在のポーランドにあるシフィドビンという街だ。シフィドビンではいまでもフィルヒョーを記念する石碑を見ることができるぞ。

学校では常にトップの成績を収めるほど優秀だったフィルヒョーは1835年にギムナジウム(日本でいう中高一貫校のような学校)に進学し、牧師を目指します。4年後には無事卒業しますが、人前での説教を苦手としたため、牧師になることを断念。医学の道へ舵を切ることにしました。

ベルリンにあったプロイセン陸軍士官学校へ進学し、奨学金をもらいながら本格的に医学を学びます。1843年にベルリン大学で博士号を取得。病院で助手の仕事を経た後、1847年にベルリン大学の講師となり、その後はヴュルツブルク大学の教授やベルリン大学の教授を務めます。

image by iStockphoto

フィルヒョーは病理学(病気の原因やメカニズムを明らかにする学問)の分野で数々の功績をあげました。後述する「細胞病理説」のほか、がんや白血病、血栓の研究などで優れた成果を残しています。

また、公衆衛生についての理解も深く、貧困や不衛生が医療に及ぼす影響を訴えました。ベルリンに近代的な上下水道を整備するため、議員になって政治活動にも精を出したのです。

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「医療はすべて政治であり、政治とは大規模な医療にほかならない」とはフィルヒョーの言葉だ。医療を充実させるためには政治的な力も必要であることをよく認識していたんだな。

さらに、人類学にも強い興味を持ち、遺跡の発掘調査に協力することもありました。ギリシア神話の架空の都市と考えられていたトロイアを発掘したハインリヒ・シュリーマンとも交流があったほか、民俗学や先史学の学会を設立するなど、ドイツの考古学界に大きな貢献をのこしています。

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多方面で精力的に活躍したフィルヒョーでしたが、1902年の初めに太ももを骨折するけがを負い、回復がままならないまま、その年の9月に心不全でなくなりました。

image by Study-Z編集部

フィルヒョーの功績

細胞病理説を提唱

医学の歴史において、フィルヒョーは「あらゆる病気は細胞が異常をきたすことによっておこる」という細胞病理説を提唱したことで知られています。細胞が集まってできているのが人の体なのだから、その人が健康なのも病気なのも細胞に原因がある、という考え方です。

現代の私たちからすると、ごく普通のことを言っているように見えますが、これは当時画期的な発想でした。なぜならば、生物が細胞の集まりであるということが言われ始めたばかりの時代だったからです。

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ここで、「生物は細胞からなる」という説=細胞説の歴史を復習しておきたいな。

細胞を顕微鏡で初めて観察したのはイギリスの科学者ロバート・フックといわれています。1665年のことで、コルクを薄く切ったものを観察したところ、小さな部屋のような仕切りがたくさんあるのが見えました。死んだ植物の細胞壁だったわけですが、フックはこの構造を「cell」と名付けます。

同じころ、オランダのレーウェンフックはオリジナルの顕微鏡で微生物や赤血球といった、生きた細胞を発見してスケッチをしました。

それから200年ほどたった1838年、ドイツのシュライデンが「植物の体は細胞を基本単位として成り立っている」と提唱。翌年にはシュワンが「動物の体も細胞が基本単位となっている」と発表しました。シュライデンやシュワンの説は、フィルヒョーがまだ学生の頃に提唱された最新の学説だったのです。

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なるほどな。それでは、「病気の原因は細胞にある」と考える以前は、病気をどのようにとらえていたのだろうか?

19世紀ごろまで病気のとらえ方として主流だったのは、古くから信じられていた体液病理説(または液体病理説)でした。体液病理説では、人の体の中にある数種類の体液のバランスが崩れることで病気が生じると考えます。

古代ギリシアのガレノスは体液を「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」の4種類に分け、それ以前の体液病理説を四体液説として発展させました。中世ヨーロッパでも体液病理説は根強く、病気の治療法のみならず、占星術と結びつけられたり、人の気質は体液の過不足によるとみなされていたのだそうです。

2000年近くたった19世紀になってもなお、紀元前に生み出された体液病理説が信じられていました

ここにきて、フィルヒョーの提唱した細胞病理説がどれだけ画期的だったかがわかるでしょう。彼は『細胞病理学』という本を出版し、病変した細胞のスケッチなどを交えながら、体液病理説を否定したのです。

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フィルヒョーは病理学に大革命を起こしたといっても過言ではないわけだな。

補足しておくと、長きにわたって信じられてきた体液病理説も、完全に消滅したわけではない。インドで実践されている医学や、心理学の分野などで参照されることがあるんだ。

フィルヒョーの誤り

さて、私たちの体に生じる病気には、自分自身の細胞の異常が原因ではなく、体外から侵入した細菌やウイルスが原因になるものも存在しますよね。

残念ながら、自分の細胞病理説に絶対的な自信を持っていたフィルヒョーは、細菌による疾患があることを認めませんでした。「すべての病気は自身の細胞に原因がある!」と信じてやまなかったのです。ちょうど、パスツールやコッホといった微生物学者が登場し、細菌の研究が花開き始めた時期だったのですが…。

「すべての細胞は細胞から生じる」

image by iStockphoto

細胞病理説を提唱するにあたり、フィルヒョーは「すべての細胞は細胞から生じる(Omnis cellula ecellula)」という有名な言葉をのこしました。

何気ない言葉ですが、「細胞は細胞からしか生じない→体は細胞の集まりでしかない→健康も病気も、すべては細胞の状態次第」ということで、これは細胞病理説の土台となる考え方なのです。

近代的な病理学の基盤をつくったフィルヒョー

高校生物の授業で習うのは「”細胞説”のフィルヒョー」ですが、実際のところフィルヒョーは病理学で重要な役割を果たした人物です。医学の道を目指す皆さんには、とくに名前を覚えておいてほしいと思います。

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