5-3、鉄幹の親戚、子孫たち
鉄幹の実兄照幢(しょうどう)は赤松連城の娘安子と結婚、その子で鉄幹には甥と姪にあたる赤松克麿と赤松常子は政治家に。また鉄幹と晶子の次男秀はイタリア、エジプト大使などを歴任した外交官となり、昭和39年( 1964年)の東京オリンピック事務長を務めたそう。また秀と妻で評論家の道子の間の子で、鉄幹と晶子の孫として、与謝野馨(政治家)、與謝野文子(評論家)。
与謝野晶子をはじめ、数々の詩人、歌人を見出した
与謝野鉄幹は京都の寺生まれの元西本願寺派の僧侶で、10代で女学校の教師となり生徒に手を出して辞職後、上京して歌人に師事、その後は文芸誌の編集者、歌人として「明星」を発行、当時のロマン主義的な新しい和歌を推進する中心的存在として、北原白秋、石川啄木らを見出し、与謝野晶子も世に出した人。
鉄幹の編集したセンセーショナルな処女作「みだれ髪」は大成功し、晶子は一躍歌人として認められたが、鉄幹は晶子との不倫関係も話題になり、スキャンダラスな怪文書「文壇照魔鏡」が出版されるなどの影響、またおりからの自然主義文学の台頭でロマン主義が廃れたこと、そして晶子の私小説の影響もあったらしく、晶子にパリまで行かせてもらった後も歌人としては絶不振に。
最後は大学教授として堀口大学、三木露風といった人々を育て、晶子らとともに文化学院を創立、晶子の全集はあっても鉄幹のはないために歌人として評価が低いといわれますが、これだけの人材を見出して文壇に貢献したのは多大な功績で、歌を作るよりも指導する側に向いていたとみるべきでは。



