21世紀になってからも止まない日本国内の米軍基地問題。日本とアメリカが結んでいる「日米安全保障条約」に則り、日本国内にアメリカ軍の基地を置くという状態が成り立っている。かつて、この日米安保に関して若者と政府で真剣にやり合ったことがある。いわゆる安保闘争。

どんな背景で若者たちは立ち上がって意見したのか?そしてその後どういう流れになったか。昭和史に詳しい平成産まれのR175に客観的に解説してもらう。

ライター/R175

学生時代、個人的に昭和史に興味があり図書館やネットで知識を得ていた。理系学部に属しながら、社会科学系図書館に通っていた。

1.安保闘争の概要

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「なぜ日本の自衛隊がアメリカの戦争に協力しないといけないんだ。日本が戦争に巻き込まれる。なんとしてでも阻止したい」そう言って政府に反発していった運動が安保闘争です。日米安保条約を更新するタイミングであった1960年と1970年、2度にわたりそのような運動が起きました。60年安保の闘争では東大生が1人犠牲になっています。

一体どのよな事情があったのでしょうか?

2.第二次世界大戦後の国民感情

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死者が出るほど「本気」で闘争が行われたのはそれだけ「平和」に対する強い思いがあったから。「何としてでも日本を戦争に巻き込むのは避けたい」。当時、軍に対する否定的な意見が多かったのは第二次世界大戦の影響であることは言うまでもありません。

3.軍隊の必要性

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第二次世界大戦後、日本においては軍隊は不要という考えが主流。21世紀現在でも、日本国は軍隊を持っていません。

しかし、残念ながら世界的に見れば軍隊なしというのはかなり危険な状態。幸い日本は島国であり、他国に攻められにくいですが、そうではない陸続きで国境がある国もたくさんあります。このような国々で、隣の国は軍隊があるのに自国は軍隊を持っていなかったら。あまりに危険です。

領土拡大への憧れ

21世紀現在でも、領土問題は後をたちません。本格的に軍備している世界各国はともかく、日本でも領土問題のニュースはよく耳にします。

具体的な言及は避けますが、島を巡って隣接する国と議論していますね。両者中々譲らず。戦争には至らなくてもやはり素直に引き下がることはない。

その土地が自国の土地だったら明確に何か得をするとかそういうのがなくても、「とりあえず土地を広げたい」という望みは、今の時代であってもどの国も持っているという証。

自分の家の土地だとしたら

「自分家の土地が狭くなります。ほとんど使っていないようなので隣の家に譲りなさい。」

そんなことを言われたら絶対ケンカになりますね。例え全然使っていない土地で、そこを持っていることの明確なメリットがないとしても、誰かに没収されると思うと黙っていられません。ひょっとしたら金が埋まっているかもしれないし、そうでなくても、畑をしたり、駐車場にしたりといくらでも使い道はあります。没収されるとそういった可能性を全て捨てることに。

逆に、自分の土地に隣接して誰のものか明確ではない土地があったとしましょう。その土地、出来れば自分のものにしたいですよね。自分の土地を広げたいという思いは人間の本能のようもので時代が進んでも変わることはありません。

軍事力による抑止効果

周りより軍事力が高い者が居たら治安が保たれるもの。下手に暴れても軍事力の高い者に制圧されてしまうから、暴れようとする者は減り治安が保たれます。

身近な例だと、警察官。警官は拳銃を待っているし、法的な権力もあります。ある意味で一般peopleよりも「軍事力」を持っているわけです。

もし、警察官が一切取り締まりをしなかったら?「俺急いでるから」とスピード出し放題で信号無視するクルマが多発するかもしれませんね。それで事故が起きても過失割合などはケンカで決まるかもしれません。軍備された警察官によって治安が保たれているのは間違いありません。

同じことは軍隊にも言えます。仮にある国が一切軍事力を持っていなかったら、隣の国は攻め放題、領土取り放題。隣の国が暴れて出してしまうことでしょう。何も戦争をするためでなくても、平和を保つためにはある程度の軍備は必要と言わざるを得ません。

\次のページで「4.日米安保の締結」を解説!/

4.日米安保の締結

日本軍を再編するのは世論状況からすると不可能。しかし一方で、現実的に軍事力ゼロも成り立たない。そこで、日米安保条約を結びアメリカ軍に土地を提供する代わりに日本国内の警備もするというところで落ち着きました。

戦後、日本は連合国は平和条約を結び、戦争状態を終結させます。通称、サンフランシスコ講和条約と呼ばれる条約。これにより、連合国は日本の主権を承認。このとき同時にアメリカと結んだのが日米安保条約。日本の主権は承認されたけど、現実的に自国で軍隊を作れない。戦後日本を占領していたアメリカ軍がそのまま駐在するかわりに日本の安全保障をするという内容。日本は軍や戦争にかかわる必要がありません。

アメリカのメリット

アメリカとしては、ソ連など東側諸国に近い日本に軍隊を置けることは大きなメリット。

日本のメリット

アメリカ軍が日本の安全保障も行うということで日本は自国で軍隊を組織する必要がなくなります

6.日米安保改定~日本の軍事協力拡大~

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1951年に締結された日米安保条約ですが、1958年ごろから岸信介首相率いる内閣によって改定の交渉が行われました。主な改定内容のうち、後々問題になったのが「日米共同防衛の明文化」。日本とアメリカが協力して防衛しましょう・という内容。「日本にあるアメリカ軍基地が攻撃を受けたら、日本も積極的にその防衛に協力しなさい」ということ。

これに対し当時、「アメリカの戦争に日本が協力しなければならない」、「アメリカの戦争に日本も巻き込まれる」と解釈され大きな反発を生みました。第二次世界大戦から日が浅く、「戦争」に対する拒否感が強かったのです。

安保の改定が承認されない

日米安保の改定にあたり国会で採決を試みます。しかし、戦争への「拒否感」が強い多くの国民は安保の改定に反対。国会においても、日本社会党や日本共産党などが激しく反対し採決が進みません。これらの政党は反対運動をサポートし、何としてでも採決されないよう試みるほどでした。

\次のページで「強行採決」を解説!/

強行採決

安保の改定を巡り揉めていた1960年5月19、座り込みなどで抵抗していた日本社会党の議員らを警察官を動員して排除。衆議院にて「強行採決」がなされます。日本社会党の議員らが座り込みなどにより抵抗を続けていましたが、理由は、当時の米大統領(アイゼンハワー)の来日予定日(6月19日)までに条約を承認させたかったから。衆議院で5月19日までに可決すれば、参議院にて採決されなくても、30日後の6月19日には安保改定が「自然成立」するのでそれを狙ったのです。

衆議院の優越

衆議院と参議院で意見が異なるときは「衆議院」の意見に従いましょうというルール。「日本国憲法」および「国会法」にて規定されています。議決内容によってルールが異なりますが、ここでは「安保闘争」に関係がある「条約の承認」についてみていきましょう。以下、憲法第61条より抜粋。

”衆参で議決が異なる時に開く両院協議会で成案が得られない場合、又は衆議院議決法案の受領後30日以内に参議院が議決しない場合衆議院の議決が国会の議決となる”

衆議院で(無理やりにでも)可決してしまえば、参議院でどんなに反対があっても30日後にはその条約が成立してしまいます。逆算すると、米大統領が来日する30日前に衆議院で採決できれば大統領が来た時には「日本の国会で条約決まりましたよ。」と言えますね。1か月前に採決できていないと大統領来日時に「あ、まだ決まっていません。衆議院では採決したのでおそらくは承認できると思いますが」になってしまい、ちょっと気まずいですね。

7.立ち上がる市民たち

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アメリカとの良好な国交を保つためという背景もあったのですが、「強行採決」とうい手段は「民主主義の破壊である」としてさらなる反発を生みました。一般市民の間にも反対運動への関心が高まり、国会議事堂の周囲には連日大勢のデモ隊が囲みました。デモは激しさをましていき、警察官や右翼の力だけではデモを抑えることが難しくなります。

暴力団の力を借りる

当時の首相岸信介はデモを抑えるために暴力団と協力しました。今では「反社会的」との認識がされていますが、当時は政府と協力関係。ちょっとショッキングですね。

無罪判決との引き換え

デモを抑えるため創価学会の会員の協力も要請したようです。その見返りがなんと「無罪判決」。創価学会会長の池田氏の大阪事件による判決を「無罪」とする代わりにデモの鎮圧に協力してほしいという要請があったようです。しかし、創価学会側がこの要請を拒否しこの話はなくなりました。

デモ隊から死者が出る

強行採決から1か月が経とうとしていた1960年6月15日。デモに参加していた東大生が犠牲になってしまいます。この日のデモ参加者は主催者発表で33万人、警視庁発表では13万人。ここまでの規模に膨れ上がっていました。国会議事堂正門前にて、大規模に突入してきたデモ隊と機動隊が激しく衝突。デモに参加していた東大生1人が圧死しました。

\次のページで「8.岸首相退任と安保闘争の鎮静化」を解説!/

8.岸首相退任と安保闘争の鎮静化

「安保反対」で始まった闘争騒ぎですが、一連の責任を取って岸首相が退任し、内閣総辞職となって以降急激に収まりました。安保闘争は「岸内閣の倒閣」という動機が強かったようです。岸首相は戦前の東条内閣の閣僚であり、極東裁判では「A級戦犯」とされているし、強行採決するような政治姿勢が反発を生んでいた模様。

9.学生運動発展のきっかけに

安保闘争そのものは沈静化したものの、その後の「学生運動」の盛り上がりに寄与したと考えられます。安保の改定こそ阻止できなかったものの、気に入らない内閣を退陣させることに成功しました。反対運動を行った意義は大きいです。「自分たちの運動で政治を変えられる」と信じられました。

その後、60年代後半にかけてはこういった反体制運動が増えてきます。ベトナム戦争の反戦運動のように「平和」を掲げたものから、大学運営を巡っての講義活動、空港建設の反対運動など様々な動機で運動が起きるようになりました。ちなみに日米安保は10年の期限付き。特に運動が盛んだった68~69年頃には「70年安保粉砕」というスローガンも見られました。

平和への思いと運動

安保闘争。一見すると暴力沙汰に見えますが主な動機は「平和」の維持。安保の改定で日本がアメリカの戦争に巻き込まれる可能性があることから反対運動が起きました。

岸内閣への反発という動機もあったようですが、それはA級戦犯の者が首相を務めていることへの反発、第二次世界大戦に対して過失があるものに政治を任せたくないという意思の表れであり、結局は「平和を保ちたい」というところにつながります。

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現代社会

日本の平和を訴えた「安保闘争」を平成産まれのライターが客観的にわかりやすく解説

21世紀になってからも止まない日本国内の米軍基地問題。日本とアメリカが結んでいる「日米安全保障条約」に則り、日本国内にアメリカ軍の基地を置くという状態が成り立っている。かつて、この日米安保に関して若者と政府で真剣にやり合ったことがある。いわゆる安保闘争。

どんな背景で若者たちは立ち上がって意見したのか?そしてその後どういう流れになったか。昭和史に詳しい平成産まれのR175に客観的に解説してもらう。

ライター/R175

学生時代、個人的に昭和史に興味があり図書館やネットで知識を得ていた。理系学部に属しながら、社会科学系図書館に通っていた。

1.安保闘争の概要

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「なぜ日本の自衛隊がアメリカの戦争に協力しないといけないんだ。日本が戦争に巻き込まれる。なんとしてでも阻止したい」そう言って政府に反発していった運動が安保闘争です。日米安保条約を更新するタイミングであった1960年と1970年、2度にわたりそのような運動が起きました。60年安保の闘争では東大生が1人犠牲になっています。

一体どのよな事情があったのでしょうか?

2.第二次世界大戦後の国民感情

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死者が出るほど「本気」で闘争が行われたのはそれだけ「平和」に対する強い思いがあったから。「何としてでも日本を戦争に巻き込むのは避けたい」。当時、軍に対する否定的な意見が多かったのは第二次世界大戦の影響であることは言うまでもありません。

3.軍隊の必要性

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第二次世界大戦後、日本においては軍隊は不要という考えが主流。21世紀現在でも、日本国は軍隊を持っていません。

しかし、残念ながら世界的に見れば軍隊なしというのはかなり危険な状態。幸い日本は島国であり、他国に攻められにくいですが、そうではない陸続きで国境がある国もたくさんあります。このような国々で、隣の国は軍隊があるのに自国は軍隊を持っていなかったら。あまりに危険です。

領土拡大への憧れ

21世紀現在でも、領土問題は後をたちません。本格的に軍備している世界各国はともかく、日本でも領土問題のニュースはよく耳にします。

具体的な言及は避けますが、島を巡って隣接する国と議論していますね。両者中々譲らず。戦争には至らなくてもやはり素直に引き下がることはない。

その土地が自国の土地だったら明確に何か得をするとかそういうのがなくても、「とりあえず土地を広げたい」という望みは、今の時代であってもどの国も持っているという証。

自分の家の土地だとしたら

「自分家の土地が狭くなります。ほとんど使っていないようなので隣の家に譲りなさい。」

そんなことを言われたら絶対ケンカになりますね。例え全然使っていない土地で、そこを持っていることの明確なメリットがないとしても、誰かに没収されると思うと黙っていられません。ひょっとしたら金が埋まっているかもしれないし、そうでなくても、畑をしたり、駐車場にしたりといくらでも使い道はあります。没収されるとそういった可能性を全て捨てることに。

逆に、自分の土地に隣接して誰のものか明確ではない土地があったとしましょう。その土地、出来れば自分のものにしたいですよね。自分の土地を広げたいという思いは人間の本能のようもので時代が進んでも変わることはありません。

軍事力による抑止効果

周りより軍事力が高い者が居たら治安が保たれるもの。下手に暴れても軍事力の高い者に制圧されてしまうから、暴れようとする者は減り治安が保たれます。

身近な例だと、警察官。警官は拳銃を待っているし、法的な権力もあります。ある意味で一般peopleよりも「軍事力」を持っているわけです。

もし、警察官が一切取り締まりをしなかったら?「俺急いでるから」とスピード出し放題で信号無視するクルマが多発するかもしれませんね。それで事故が起きても過失割合などはケンカで決まるかもしれません。軍備された警察官によって治安が保たれているのは間違いありません。

同じことは軍隊にも言えます。仮にある国が一切軍事力を持っていなかったら、隣の国は攻め放題、領土取り放題。隣の国が暴れて出してしまうことでしょう。何も戦争をするためでなくても、平和を保つためにはある程度の軍備は必要と言わざるを得ません。

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