医師「ハーベイ」って何した人?現役講師がわかりやすく解説
高校や中学の生物学で彼の名前がきちんと紹介されることは少ないかもしれませんね。ハーベイは人の体内の血液循環について画期的な説を打ち出した研究者です。
今回も、大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。
- ウイリアム・ハーベイ
- 生涯
- ハーベイの功績
- 血液循環説
- 周囲の反応
- 発生学の研究
- 近代生理学の父ハーベイ
この記事の目次
ライター/小野塚ユウ
生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。
ウイリアム・ハーベイ
ウイリアム・ハーベイ(William Harvey)は17世紀に活躍したイギリスの医師です。ファミリーネームは「ハーベー」や「ハーヴェイ」などと表記されることもあります。
生涯
ハーベイは1578年にイギリスのフォークストンという町で生まれました。フォークストンはドーヴァー海峡が目の前に広がる港町です。
9人兄弟の長男として生まれたハーベイは、幼いころをフォークストンで過ごし、その後カンタベリーにあるキングススクールという学校へ入学しました。ここで5年間学んだのち、1593年ケンブリッジ大学に進学。1599年からはイタリアのパドヴァ大学に入って医学を本格的に学びました。
ハーベイはパドヴァ大学で外科医のファブリキウスに師事することになりました。ファブリキウスは解剖学の分野で非常に有名な人物。生涯にわたって様々な動物の解剖を行い、それまで知られていなかった生物の体の仕組みをいくつも解き明かした人物です。
ファブリキウスの功績の一つに、静脈弁の役割の発見があります。弁があることで静脈では血液の逆流が妨げられているという発見ですが、これがハーベイのその後の発見にも影響を与えたといわれているのです。
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1602年に24歳でパドヴァ大学を卒業したハーベイはイギリスにもどり、名医として名をはせました。その名声も手伝って、ハーベイは医師として働く傍ら、国王の侍医に任命されるまでになったのです。
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