
「士農工商」はなぜできた?

今も「格差社会」などと呼ばれるものの、明確な身分制度は存在しません。人々の身分が決められ、決められた身分によって生活する、というのはあまり想像できませんね。
なぜ身分制度ができたのか考えてみましょう。
士農工商を定めた目的その1「治安維持」
天下統一を果たした豊臣秀吉は、武士以外の人々に対する「刀狩」を実行しました。戦国時代は誰でも持っていた刀や槍などの武器を取り上げたのです。秀吉が天下統一を果たすまで、農地はいつ誰に襲われるかわからない状況でした。そのため、農民は自ら武装し、自分の農地を守っていたのです。また、近所で戦争が起こった際に参戦して報酬を貰う、という目的もありました。つまり、多くの農民は「兼業武士」のような状態だったのです。
刀狩により、農民は自分の農地を守れなくなりますが、他人の農地も攻められなくなります。また、治安維持にあたる武士だけに武器を持つ特権を与えることで、小競り合いが起こった際に解決しやすくなりました。
治安維持を行う人々を「武士」と定めて区別し、武士以外から武器の所有権を取り上げることで、社会を安定させようとしたのです。このためには、武士と農民の区別が明確である必要がありました。
士農工商を定めた目的その2「税金」
武士階級の人々は納められた年貢を受け取って生活していましたが、その年貢を納めていたのは農民です。
税金を納めさせる場合、納める人の収入に応じて割合を変えないと不公平になってしまいますが、職人や商人の収支を把握するのは非常に困難でした。今のように計算や通信が発達していたわけではないので、商品や現金などを現物確認しなければいけなかったのです。職人や商人の場合、商品や現金をいくらでも隠せてしまいます。そこで、秀吉が目をつけたのは農民です。農民は自分が所有している農地からしか収入が得られません。また、農地の面積がわかれば、ある程度の収入の目安がつきます。この目安を「石高」と呼んでいました。この石高にあわせて年貢の取立てが行われたのです。
こうした仕組みで税収を得るには、ある程度の農民の数と農地が必要になります。そのため、身分制度を定めて農民の数を安定させたのです。
「士農工商」から歴史を知ろう
今回の記事では、主に士農工商の意味について詳しく説明しました。「江戸時代の身分制度」といってしまえばそれまでですが、せっかく知るなら少し深掘りし、詳しく知っておきましょう。四字熟語として士農工商をそのまま使うことはちょっと考えにくいものがありますが、詳しく知ることで日本史についても学ぶことができます。テスト対策だけでなく、社会人としての教養にもなるはずです。