この記事では「士農工商」について解説する。歴史の教科書などで目にする機会の多い言葉です。

端的に言えば士農工商は江戸時代の身分制度のことですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「士農工商」について見ていきます。

ライター/gekco

本業では出版物の校正も手がけ、一般教養に強い。豊富な知識と分かりやすい解説で好評を博している。

「士農工商」の意味や語源・使い方まとめ

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士農工商は「しのうこうしょう」と読みます。それでは、早速「士農工商」の意味や使い方について詳しく見ていきましょう。

「士農工商」の意味は?

士農工商には、次のような意味があります。

江戸時代の基本的身分制度。武士・農民・職人・商人をいう。工・商は一括して町人と呼ばれた。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「士農工商」

「士農工商」という意味を持った言葉というわけではなく、身分制度の一種です。

「士農工商」の由来は?

」「」「」「」という漢字それぞれが、士農工商という身分制度の中の階級を示しています。「士」は武士「農」は農民「工」は職人「商」は商人で、工と商をあわせて町人とも呼んでいました。公家や天皇家は含まれておらず、最下層とされた「えた・ひにん」も含まれていません。

士農工商が身分制度としての性格をもったのは江戸時代になってからの話で、もともとは儒教思想に由来する言葉です。社会を構成する主だった要素として、役人・農民・職人・商人が挙げられ、「社会を構成する様々な職業の人」という意味で使われていました。

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「士農工商」を詳しく知ろう

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士農工商の文字それぞれが、武士、農民、職人、商人を表していることは、先に説明したとおりです。ここでは、それぞれの階級についてもう少し掘り下げてみてみましょう。

「士」

士農工商で最も高位とされた階級が「士」、つまり武士階級です。ただし、武士といってもかなり幅広く、上は征夷大将軍から下は足軽まで、多くの人が属していました。同じ武士の中でも格差が大きかったことがわかりますね。

武士、と聞くと、合戦で激しく斬りあうイメージがありますが、士農工商が定着した江戸時代には、そのような合戦はほとんどありません。すでに徳川家によって全国が平定されていたので、大規模な合戦は起こらなかったのです。

そのため、武士とはいっても、いわゆる軍人のようなカテゴリーの武士ではなく、奉行などのいわゆるお役人が中心でした。今でいう、公務員のような身分です。治安維持や司法のような役割を担い、「年貢」と呼ばれる税金のようなもので生活していました。

その年貢を納めていたのが、次に紹介する「農」の人々です。

「農」

「農」に属していたのはいわゆる農民で、お百姓さんなど畑や米作りを生業にしていた人々です。武士が細かく差別化されていたのと同様に、農民にも大規模な農地を管理する「庄屋」から日雇いに近い働き方をしていた「小作人」まで、さまざまな階級がありました。

特筆すべきは社会の人口における農民の割合で、士農工商の中では農民の割合が圧倒的に多かったとされています。つまり、多くの人は何らかの農民だったわけです。

農民は自分の持つ農地の作物で生計を立て、収穫量の一部を年貢として大名に納めていました。中には自給自足の農民もいたようですが、大部分の農民は作物を売り買いしていたようです。

「工」

「工」に属する人々は、いわゆる職人と呼ばれるカテゴリーです。職人も、作るものによって細かく細分化されていて、たとえば刀鍛冶なら刀を専門にしていた場合がほとんどでした。他にも、茶碗などの食器、畳、装飾品などを作るのも職人でしたし、大工も職人に入ります。武士や大規模農民のような組織体系をもつ職人は稀で、多くは一人で生計を立てている独立した自営業のような働き方だったようです。そのため、休憩や休日も好きなように取ることができ、厳しく年貢を取り立てられるようなこともありませんでした。働いていた時間は実質4時間程度、という見方もあるくらいですから、もしかしたら楽な職業(身分)だったのかもしれませんね。

「商」

最後にご紹介するのは商人です。豊臣秀吉の天下統一後、江戸時代の終焉まで、国内で大規模な戦乱はほとんど起こっていません。現代でも同じですが、戦乱がなく世の中が安定していると、経済が安定し発展します。このため、当時は商人が武士に匹敵する力をつけていました。時代劇では、悪徳商人と役人が裏取引をして町人を苦しめている姿が描かれることがありますが、こうした時代背景がモデルになったのかもしれません。

実は、士農工商という文字の並びにも意味があり、武士がもっとも高位で、商人がもっとも低位、とされていました。それは、血筋や家柄で決まる武士、食料や物資を生産している農民や職人に比べ、誰かが生産したものを取引することでしか生活できない商人を蔑んだためだとされています。実際には、商人の力が上級武士に匹敵するほど強かったため、身分を下げてバランスを取ろうとしたようです。

また、武士が上位階級だったのは事実ですが、残りの農民・職人・商人には上下の差がほとんどなかった、という研究結果もあります。

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「士農工商」はなぜできた?

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今も「格差社会」などと呼ばれるものの、明確な身分制度は存在しません。人々の身分が決められ、決められた身分によって生活する、というのはあまり想像できませんね。

なぜ身分制度ができたのか考えてみましょう。

士農工商を定めた目的その1「治安維持」

天下統一を果たした豊臣秀吉は、武士以外の人々に対する「刀狩」を実行しました。戦国時代は誰でも持っていた刀や槍などの武器を取り上げたのです。秀吉が天下統一を果たすまで、農地はいつ誰に襲われるかわからない状況でした。そのため、農民は自ら武装し、自分の農地を守っていたのです。また、近所で戦争が起こった際に参戦して報酬を貰う、という目的もありました。つまり、多くの農民は「兼業武士」のような状態だったのです。

刀狩により、農民は自分の農地を守れなくなりますが、他人の農地も攻められなくなります。また、治安維持にあたる武士だけに武器を持つ特権を与えることで、小競り合いが起こった際に解決しやすくなりました。

治安維持を行う人々を「武士」と定めて区別し、武士以外から武器の所有権を取り上げることで、社会を安定させようとしたのです。このためには、武士と農民の区別が明確である必要がありました。

士農工商を定めた目的その2「税金」

武士階級の人々は納められた年貢を受け取って生活していましたが、その年貢を納めていたのは農民です。

税金を納めさせる場合、納める人の収入に応じて割合を変えないと不公平になってしまいますが、職人や商人の収支を把握するのは非常に困難でした。今のように計算や通信が発達していたわけではないので、商品や現金などを現物確認しなければいけなかったのです。職人や商人の場合、商品や現金をいくらでも隠せてしまいます。そこで、秀吉が目をつけたのは農民です。農民は自分が所有している農地からしか収入が得られません。また、農地の面積がわかれば、ある程度の収入の目安がつきます。この目安を「石高」と呼んでいました。この石高にあわせて年貢の取立てが行われたのです。

こうした仕組みで税収を得るには、ある程度の農民の数と農地が必要になります。そのため、身分制度を定めて農民の数を安定させたのです。

「士農工商」から歴史を知ろう

今回の記事では、主に士農工商の意味について詳しく説明しました。「江戸時代の身分制度」といってしまえばそれまでですが、せっかく知るなら少し深掘りし、詳しく知っておきましょう。四字熟語として士農工商をそのまま使うことはちょっと考えにくいものがありますが、詳しく知ることで日本史についても学ぶことができます。テスト対策だけでなく、社会人としての教養にもなるはずです。

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国語言葉の意味

「士農工商」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「士農工商」について解説する。歴史の教科書などで目にする機会の多い言葉です。

端的に言えば士農工商は江戸時代の身分制度のことですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「士農工商」について見ていきます。

ライター/gekco

本業では出版物の校正も手がけ、一般教養に強い。豊富な知識と分かりやすい解説で好評を博している。

「士農工商」の意味や語源・使い方まとめ

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士農工商は「しのうこうしょう」と読みます。それでは、早速「士農工商」の意味や使い方について詳しく見ていきましょう。

「士農工商」の意味は?

士農工商には、次のような意味があります。

江戸時代の基本的身分制度。武士・農民・職人・商人をいう。工・商は一括して町人と呼ばれた。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「士農工商」

「士農工商」という意味を持った言葉というわけではなく、身分制度の一種です。

「士農工商」の由来は?

」「」「」「」という漢字それぞれが、士農工商という身分制度の中の階級を示しています。「士」は武士「農」は農民「工」は職人「商」は商人で、工と商をあわせて町人とも呼んでいました。公家や天皇家は含まれておらず、最下層とされた「えた・ひにん」も含まれていません。

士農工商が身分制度としての性格をもったのは江戸時代になってからの話で、もともとは儒教思想に由来する言葉です。社会を構成する主だった要素として、役人・農民・職人・商人が挙げられ、「社会を構成する様々な職業の人」という意味で使われていました。

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