今回はジェンナーという人物について学習していきたいと思う。

彼の名前は、高校の生物基礎で免疫系について学ぶときに耳にするはずです。感染症のある治療方法を生み出した、歴史に残る科学者として知られているな。この記事では、そんなジェンナーの功績を中心に紹介しよう。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらうぞ。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

エドワード・ジェンナー

エドワード・ジェンナー(Edward Jenner)は18世紀から19世紀にかけて活躍したイギリスの医学者です。”種痘法”の発明者として名を残しています。

生涯

ジェンナーは1749年にイギリスのグロスターシャー州バークレーで生を受けました。牧師の父のもとで基礎的な学習を終えたのち、十代前半で開業医のダニエル・ラドロウらのもとに弟子入りし、医学を学びます。日々実践的な医療に触れる中で、ジェンナーは天然痘牛痘といった病気に興味をもったようです。

1770年、ジェンナーは医者としての研鑽をつむためにロンドンへ赴きます。はじめは、聖ジョージ病院の実習生になりますが、しばらくすると外科医であるジョン・ハンターのもとに住み込み、ハンターの弟子となりました。

ジェンナーは1773年、24歳のときにバークレーにもどって自分の診療所を開設しました。田舎の開業医として市民の健康を守るかたわら、彼は若いころに興味を抱いた天然痘と牛痘についての研究を始めます。後述しますが、天然痘はとても致死率の高い感染症です。

1778年から20年近くの間研究や実験を行い、天然痘を予防する方法である種痘法を発明しました。1796年には人間でその効果を実証し、1798年にヨーロッパ科学界へ発表します。

Edward Jenner.jpg
ジョン・ラファエル・スミス - [1] [2], originally uploaded to en by User:Magnus Manske, パブリック・ドメイン, リンクによる

はじめは種痘法に反対する人物もいましたが、実際に種痘法を施すことで天然痘の死者が激減するようになりました。ジェンナーの発表から数年後には、世界中に種痘法が広まります。人々に恐れられていた天然痘の予防が着々と進んでいったのです。

1823年、ジェンナーは脳卒中に倒れます。発見されたときはまだ存命でしたが、その後回復することがなく、73歳で命を落としました。

image by Study-Z編集部

ジェンナーがこの世を去っても、種痘法の重要性は変わることがありませんでした。1840年にはイギリス政府が天然痘の予防にジェンナーの手法以外を禁止したあたりにも、彼の残した技術が革命的なものであったことがうかがえます。ジェンナーが種痘法の特許を取らなかったことも、種痘法が広く使われるようになった理由の一つです。

ジェンナーの功績“種痘法”

それでは、ジェンナーがその名を残すことになった種痘法についてご紹介しましょう。

天然痘と牛痘

天然痘は天然痘ウイルスが身体に侵入することで起きる感染症です。日本では疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)という名称でよばれることもあります。世界各地で古くから知られている病気で、日本でもその歴史は長く、時に大流行して人々を震え上がらせてきました。

Fold out colour plate showing vaccination scars Wellcome L0041064.jpg
https://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/54/b2/7da7d5d251da2607be1ce470e256.jpg Gallery: https://wellcomeimages.org/indexplus/image/L0041064.html Wellcome Collection gallery (2018-03-29): https://wellcomecollection.org/works/hyjxgxax CC-BY-4.0, CC 表示 4.0, リンクによる

天然痘ウイルスに感染すると1~2週間の潜伏期間ののち、高熱頭痛などの症状が現れます。しばらくすると顔や頭からニキビのようなぶつぶつ(丘疹)が現れ、全身に拡大。ぶつぶつは化膿して膿がたまります。発疹は消化器や呼吸器にも生じ、肺がダメージを受けると呼吸困難が引き起こされ、死に至ることもあるのです。

快方に向かう際にはぶつぶつのあったところがかさぶたになり剥がれ落ちますが、肌に跡(あばた)が残りやすく、一生消えないこともありました。

天然痘の致死率は、なんと20~50%。それに加え、天然痘ウイルスのもつ感染力が強いために、大流行を起こしやすいことも知られています。

A physician inspects the growth of cowpox on a milking maid' Wellcome V0011690.jpg
https://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/46/aa/cd7d5fa87e64c7f34b7ca028142d.jpg Gallery: https://wellcomeimages.org/indexplus/image/V0011690.html Wellcome Collection gallery (2018-03-22): https://wellcomecollection.org/works/u7pxqguz CC-BY-4.0, CC 表示 4.0, リンクによる

天然痘ウイルスによく似た牛痘ウイルスが引き起こす感染症が牛痘です。“牛”とありますが、牛だけではなく人間も感染します。天然痘よりも症状が軽く、手や腕にちょっとした水ぶくれができる程度。死に至ることはほとんどない病気です。

\次のページで「牛痘にかかると天然痘になりにくい?」を解説!/

牛痘にかかると天然痘になりにくい?

ジェンナーは10代の修業時代から「牛の乳しぼりをする女性は天然痘にならない」という話を耳にしていました。どうも、乳しぼり中に牛から牛痘を移された人間は、天然痘にかかりにくいようなのです。牛痘であればまず死ぬことはありません。これを予防に利用することができるのではないか?とジェンナーは考えました。

ジェンナーは牛痘に感染した患者の水膨れに注目します。その中の液体中に、なにか病気を防ぐような物質が含まれているのではないか、と推定していたようです。

実証実験

1796年、ジェンナー49歳のときに運命的な実験を行います。使用人の息子であったジェームズ・フィリップという少年に、牛痘患者の水ぶくれから取り出した液体を接種したのです。ジェームズには軽い発熱が現れましたが、すぐに回復しました。

6週間後、ジェンナーはジェームズに天然痘を引き起こさせる液体を接種させます。実験は見事成功!ジェームズは天然痘を発症しませんでした。牛痘による天然痘の予防、種痘法の誕生です。

はい。この話は“使用人の息子を利用した人体実験”として、おどろおどろしく紹介されることもあります。

しかしながら、ジェンナーが利用した牛痘は比較的安全な病気であることが知られていました。また、ジェームズに対して牛痘や天然痘を接種するさいにも、かなり慎重に濃度を調節したといわれます。

最終的には天然痘を安全に予防できる方法として確立されましたので、結果オーライというところではないでしょうか?

天然痘予防の仕組み

牛痘を接種すると天然痘にかかりにくくなるのは、体内で抗体が作られることによります。牛痘ウイルスに抵抗する抗体をあらかじめ用意しておくことで、よく似た天然痘ウイルスが侵入してきたときに、素早く抵抗することができるのです。

\次のページで「近代免疫学の父ジェンナー」を解説!/

image by iStockphoto

このように、あらかじめ弱い病原体や無毒化した病原体を接種して抗体を作っておくと、2度目に病原体が侵入してきたときに備えることができます。この予防法で接種する弱い病原体の含まれた物質をワクチンと呼んでいますね。

つまり、種痘とは天然痘ワクチンであるといえるのです。

近代免疫学の父ジェンナー

ジェンナーが生み出した種痘法は、ワクチンによる予防法の先駆けとなりました。免疫応答を利用した感染症の予防法は彼から始まったといっても過言ではありません。このため、ジェンナーを"近代免疫学の父”と呼ぶこともあります。

私たちも小さいころには何種類かのワクチンを接種していますよね。自分たちが日々健康に過ごせるのは、ジェンナーの生み出したワクチンによる感染症予防のおかげでもあるのです。

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理科環境と生物の反応生物

【生物】「ジェンナー」って何した人?現役講師がわかりやすく解説

今回はジェンナーという人物について学習していきたいと思う。

彼の名前は、高校の生物基礎で免疫系について学ぶときに耳にするはずです。感染症のある治療方法を生み出した、歴史に残る科学者として知られているな。この記事では、そんなジェンナーの功績を中心に紹介しよう。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらうぞ。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

エドワード・ジェンナー

エドワード・ジェンナー(Edward Jenner)は18世紀から19世紀にかけて活躍したイギリスの医学者です。”種痘法”の発明者として名を残しています。

生涯

ジェンナーは1749年にイギリスのグロスターシャー州バークレーで生を受けました。牧師の父のもとで基礎的な学習を終えたのち、十代前半で開業医のダニエル・ラドロウらのもとに弟子入りし、医学を学びます。日々実践的な医療に触れる中で、ジェンナーは天然痘牛痘といった病気に興味をもったようです。

1770年、ジェンナーは医者としての研鑽をつむためにロンドンへ赴きます。はじめは、聖ジョージ病院の実習生になりますが、しばらくすると外科医であるジョン・ハンターのもとに住み込み、ハンターの弟子となりました。

ジェンナーは1773年、24歳のときにバークレーにもどって自分の診療所を開設しました。田舎の開業医として市民の健康を守るかたわら、彼は若いころに興味を抱いた天然痘と牛痘についての研究を始めます。後述しますが、天然痘はとても致死率の高い感染症です。

1778年から20年近くの間研究や実験を行い、天然痘を予防する方法である種痘法を発明しました。1796年には人間でその効果を実証し、1798年にヨーロッパ科学界へ発表します。

Edward Jenner.jpg
ジョン・ラファエル・スミス[1] [2], originally uploaded to en by User:Magnus Manske, パブリック・ドメイン, リンクによる

はじめは種痘法に反対する人物もいましたが、実際に種痘法を施すことで天然痘の死者が激減するようになりました。ジェンナーの発表から数年後には、世界中に種痘法が広まります。人々に恐れられていた天然痘の予防が着々と進んでいったのです。

1823年、ジェンナーは脳卒中に倒れます。発見されたときはまだ存命でしたが、その後回復することがなく、73歳で命を落としました。

image by Study-Z編集部

ジェンナーがこの世を去っても、種痘法の重要性は変わることがありませんでした。1840年にはイギリス政府が天然痘の予防にジェンナーの手法以外を禁止したあたりにも、彼の残した技術が革命的なものであったことがうかがえます。ジェンナーが種痘法の特許を取らなかったことも、種痘法が広く使われるようになった理由の一つです。

ジェンナーの功績“種痘法”

それでは、ジェンナーがその名を残すことになった種痘法についてご紹介しましょう。

天然痘と牛痘

天然痘は天然痘ウイルスが身体に侵入することで起きる感染症です。日本では疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)という名称でよばれることもあります。世界各地で古くから知られている病気で、日本でもその歴史は長く、時に大流行して人々を震え上がらせてきました。

天然痘ウイルスに感染すると1~2週間の潜伏期間ののち、高熱頭痛などの症状が現れます。しばらくすると顔や頭からニキビのようなぶつぶつ(丘疹)が現れ、全身に拡大。ぶつぶつは化膿して膿がたまります。発疹は消化器や呼吸器にも生じ、肺がダメージを受けると呼吸困難が引き起こされ、死に至ることもあるのです。

快方に向かう際にはぶつぶつのあったところがかさぶたになり剥がれ落ちますが、肌に跡(あばた)が残りやすく、一生消えないこともありました。

天然痘の致死率は、なんと20~50%。それに加え、天然痘ウイルスのもつ感染力が強いために、大流行を起こしやすいことも知られています。

天然痘ウイルスによく似た牛痘ウイルスが引き起こす感染症が牛痘です。“牛”とありますが、牛だけではなく人間も感染します。天然痘よりも症状が軽く、手や腕にちょっとした水ぶくれができる程度。死に至ることはほとんどない病気です。

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