東郷平八郎の死
東郷平八郎は海軍の神様と呼ばれるようになります。重鎮とも言える存在となり、活発なその発言は軍政に大きく影響を与えました。寡黙に徹した東郷平八郎でしたが、もしかするとここではおしゃべりな本当の性格が露呈したのかもしれませんね。
そんな東郷平八郎が死去したのは1934年のこと、病気によって89歳で死去しました。海軍の英雄となった東郷平八郎の死は国民から悲しまれ、その功績から国葬として葬られたそうです。
東郷平八郎の人生を振り返ると、薩英戦争で初陣を飾った後は戊辰戦争でも参戦していき、その後は海軍として活躍を見せました。そして最終的に海軍の神様と呼ばれた点を考えると、彼もまた大きく出世した歴史に名を残した人物と言えるでしょう。
肉じゃがにまつわる風説
ひとつ噂話を紹介すると、今でこそ普通に作られる料理である肉じゃがですが、これは東郷平八郎が発した言葉によって生まれた料理とされています。その真実についてお伝えすると、明治34年に舞鶴海軍鎮守府の司令長官だった東郷平八郎は、イギリス留学中に食べたビーフシチューの味が忘れられなかったそうです。
ですから東郷平八郎は料理人に対してそれを作るように命令、ただ当時の日本の調味料ではそれを再現するのは無理でした。それでも東郷平八郎の願いを叶えようとした料理人が試行錯誤。その末に誕生した料理こそ肉じゃがだそうです。
ただしこれもまた風説の可能性が高く、なぜならビーフシチューそのものは当時の日本に存在していたためで、そのため料理人がビーフシチューを知らないのは少々考えにくいでしょう。
日露戦争のバルチック艦隊撃退が有名!
東郷平八郎のポイントはやはり日露戦争でしょう。日露戦争は開戦するまで日本の敗戦が有力視されており、当のロシアもまさか敗戦するとは思っていませんでした。
しかし実際に勝利したのは日本であり、それは東郷平八郎がバルチック艦隊を倒したからです。また、彼が関わった薩英戦争、戊辰戦争、日清戦争も日露戦争を含めて押さえておきましょう。