
「火中の栗を拾う」の語源は?
次に「火中の栗を拾う」の語源についてです。
フランスの詩人、ラ・フォンテーヌ(1621-1695)が残した寓話『猿と猫』が「火中の栗を拾う」の語源となっています。簡単にそのあらすじを確認しましょう。
ある日、同じ主人のもとで暮らす猿と猫が、暖炉で栗が焼かれているのを見ていました。
ずる賢い猿は猫に「君なら上手に栗を取り出せるよ」とそそのかします。
おだてられた猫はその気になり、何とか火の中から栗を取り出しました。
しかし、猫は大やけどを負い、何もしなかった猿に栗をすべて食べられてしまいます。
猫は猿におだてられて危険な行動をとりますが、最終的には大やけどを負った上、栗を一つも食べることができませんでした。何とも悲しい結果となるわけですが、この寓話の言葉から「火中の栗を拾う」とは「自分の利益にはならないことなのに、他人のために危険を冒す」ことのたとえとして使われるようになりました。
ただし、「他人のために危険を冒すとはなんて勇敢なんだ」という意味は誤りなので注意が必要です。寓話を知らないために誤用されることがしばしばありますが、物語では最終的に火中の栗を拾った猫が痛い目に合うのですから、ネガティブな意味合いで使われるのが正しい形となります。このニュアンスをしっかり覚えておきましょう。
「火中の栗を拾う」の使い方・例文
「火中の栗を拾う」の使い方を例文を使って確認していきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
1.火中の栗を拾うような自己犠牲の考え方はやめた方がいい。
2.社員を大切にしない会社にサービス残業で貢献するという、火中の栗を拾うような彼の働き方は馬鹿げている。
3.怪我をしているのにあのチームのために試合に出るだなんて、火中の栗を拾うようなものだ。無理をしてはいけない。
4.
A「彼ら、最近また喧嘩したらしい」
B「やっぱり?どうりで近寄りがたい雰囲気だと思ったよ」
A「仲裁に入ろうかなあ」
B「いや、その必要はないよ。それじゃまるで火中の栗を拾うようなもので、君が疲れて損するだけだよ」
自分の利益とならないことなのに危険を冒すという、ハイリスク・ロー(ノー)リターンの精神が「火中の栗を拾う」には含まれています。行う必要がないのに敢えて困難に立ち向かおうとするのなら、それは火中の栗を拾いにいくような状態なのです。例文のように、メリットがなく将来性を見込めないことに対しても使うことができます。
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