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17世紀のイングランドで起こった「名誉革命」を簡単に歴女が5分でわかりやすく解説!

よぉ、桜木建二だ。今回は17世紀のイングランドで起こった名誉革命についてだ。これはカトリック教徒のジェームズ2世を問題視した議会が国王を追放してプロテスタントのジェームズの娘夫婦をイングランドへ招いたクーデタだ。

なぜ国王は追放されることになったのか、ヨーロッパ史に詳しい歴女のまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。特にヨーロッパの王室に興味がある。今回は17世紀のイングランドで起こった名誉革命について解説していく。

1 名誉革命とは?

image by iStockphoto

名誉革命とは、17世紀のイングランドで起こった無血のクーデタです。これはカトリック教徒のジェームズ2世が先専制政治を行ったことで議会が国王を追放。そしてジェームズの娘でオランダへ嫁いだプロテスタントのメアリらを招いて2人が共同統治することになった出来事です。ではなぜ国王は追放されることになったのか、ピューリタン革命後から見ていきましょう。

1-1 王政復古で復活したステュアート朝

Triple portrait of Charles I.jpg
アンソニー・ヴァン・ダイクRoyal Collection, パブリック・ドメイン, リンクによる

ピューリタン革命によってチャールズ1世は処刑されることに。その後のイングランドではクロムウェルの独裁が続いていました。しかし彼の死後の1660年に王政復古を果たします。こうして長きにわたり亡命生活をしていた1世の息子チャールズ2世として即位。即位する1か月前にはブレダ宣言をしました。このブレダ宣言はピューリタン革命に関係した者を大赦すること、信仰の自由認めたことや軍隊への未払いだった賃金の保証など4つの宣言を行ったそう。しかし実際にチャールズは国王となると、父王を死に追いやった裁判官ら14名を処刑。既に亡くなったクロムウェルについては墓を暴き死体を八つ裂きにし、更に首を刎ねてロンドン橋に吊るしたそう。当時はこれが残虐だとは思われず、むしろ罰則の対象範囲を拡大させなかったことが評価されました。

1-2 議会は国教会以外の信仰者を弾圧することに

王政復古を果たしたチャールズでしたが、議会はピューリタン革命前の状態に戻すことをしたわけではありませんでした。1661年にはピューリタン弾圧法が成立。これは国教徒以外の者が都市の役人となることを禁じたことや国教会以外の宗教の集会を開くことを禁じた秘密礼拝禁止法などによって、ピューリタンとカトリック教徒などを弾圧するためのものでした。この王政復古体制によって議会と国教会を尊重するスタイルが築かれることに。

\次のページで「1-3 カトリック擁護の姿勢を見せたチャールズ」を解説!/

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