男女の出会いの場であるカフェーが登場する『痴人の愛』

大東京写真帖 – 『大東京写真帖』1930, パブリック・ドメイン, リンクによる
譲治とナオミの物語のなかで、とりわけ重要な位置を占めているのがカフェーです。先にも触れましたが、カフェーは喫茶店ではなくホステスがいるクラブやバーのようなところ。そんなカフェーがどのように描写されているのか、次に見ていきましょう。
騒々しいジャズ・バンドの音を聞きながら梯子段を上がっていくと、食堂の椅子を取り払ったダンス・ホールの入口に、
“Special Dance-Admission:Ladies Free, Gentlemen ¥3.00″と記した貼紙があり、ボーイが一人番をしていて、会費を取ります。勿論カフェエのことですから、ホールと云ってもそんなに立派なものではなく、(略)。
『痴人の愛』(中公文庫。106頁)
カフェーはコーヒーを飲むだけのところではない
この引用箇所から分かることは、カフェーは男女の出会いの場。バンドの生演奏と共に、男女が体を触れ合いながら踊ることもできます。つまりカフェーとは、飲んだり食べたり踊ったりできるクラブのようなところ。ホステス=給仕がダンスの相手をすることもあったようです。
たくさんの客を集めるためには、ダンスの相手となる女性の選択肢が増えることが大切。美しい女性が集まるカフェーは繁盛しました。そこでダンスに参加する場合、男性は有料、女性は無料というシステムを採用。ダンスに参加する女性をたくさん集めて、男性の客を増やそうとしていることが分かります。
ナオミの浮気相手の熊谷は西洋風色男
『痴人の愛』のなかには明確に記されていませんが、ナオミは譲治以外の男性とも付き合っていました。おそらく浮気相手は1人ではなく数名おり、かなり自由な恋愛を楽しんでいたことが示唆されています。『痴人の愛』には、浮気相手のひとりを詳しく描写している個所がありますので、見ていきましょう。
なにしろちょっと女好きのする顔立ちで、すっきりした、役者のような所があって、ダンス仲間で「色魔の西洋人」という噂があったばかりでなく、ナオミ自身も「あの西洋人は横顔がいいわね、どこかジョン・バリに似てるじゃないの」(略)と、そう云っていたくらいだから、確かにあれに眼を付けていたのだ。
『痴人の愛』(中公文庫、250頁)
ナオミの浮気相手と思われる男性はジョン・バリモアに似ている美男子。西洋人のような顔立ちで知られた存在でした。「色魔」と言われていることから、女性を積極的に口説く男性で、恋人もたくさんいたようです。
西洋風のライフスタイルに強い憧れを抱くナオミは、その男性に興味深々。二股や三股は当たり前という男性とナオミは深い関係になったようです。譲治はそれを察して、執拗に聞き込みなどをしますが、現場を押さえることはできませんでした。
『痴人の愛』から昭和モダンのリアルを読み解く
『痴人の愛』を読み進めていくと、西洋風のライフスタイルに憧れる若者の行動や心理が、とてもよく分かります。これは小説ですが、完全なフィクションと捉えてしまっていいのでしょうか。ナオミのモデルは当時の谷崎潤一郎の妻の妹。譲治は、谷崎本人の姿が反映されていると言われています。スキャンダラスな内容に目が行きがちな『痴人の愛』。しかし、その描写はとてもリアリティーがあります。それは、西洋の文化に強い憧れを抱く若者が実際に存在していたから。「昭和モダン」の台頭により、西洋に憧れる若者が増えていた時代。小説としてはもちろん歴史の生きた資料としても『痴人の愛』は貴重な作品だと言えますね。

