
「只管打坐」の使い方・例文
「只管打坐」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
只管打坐の修行に堪える
ただ座る。簡単なようでこれはとてもつらいこと。曹洞宗の修行は日本仏教の修行の中でもかなり厳しい部類と言われています。

鎌倉新仏教は一種の宗教改革ともいえる動きで日本史の出題ターゲットにもなるところだ。6宗派と開祖の名前くらいは押さえておけよ。
「専修念仏」
せんしゅうねんぶつ
こちらは同じ時期の鎌倉仏教、法然の開いた浄土宗の教えですね。ただ座れと言ったのは只管打坐。こちらはただ念仏「南無阿弥陀仏」と唱えろという教えです。推奨する行為に差はありますし宗派が求める厳しさも全く違いますが、従来の仏教の要求していた数多くの要素は全て不要であり、その一つだけを行えばよいというシンプルな教えが共通しています。平安時代まで仏教はほとんど貴族のためのものであり、形式ややることばかりが多くなりお金もかかるものになっていました。方法に違いはあれど、鎌倉新仏教はそうした仏教のアンチテーゼであるという点は同じです。
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