この記事では「只管打坐」について解説する。

端的に言えば「只管打坐」の意味は「ただひたすらに座禅をする修行のこと。」ですが、四字熟語の多くは古典が基になっている。それを抜きに意味を覚えたところですぐに記憶から抜け落ちてしまう。元の話やドラマを理解しておくと、忘れないし、本当の意味で言葉を使うことができるぞ。

センター国語190点オーバーの古典・歴史マニアのライター タケダ タケシを呼んです。一緒に「只管打坐」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/タケダ タケシ

年間200冊を超える本を読み、センター試験国語では190点オーバーの無類の国語好き。同時に歴史・古典のオタクでもある。熱い語り口が特徴。満点に届かなかった理由は漢字の「書き」ができなかった模様。なお、数学の失敗で国立大にも受からなかったらしい。反面教師にしてくださいとは本人の弁。

「只管打坐」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「只管打坐」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
桜木先生もおっしゃっていましたが、意味をただ覚えることではなく、元になった故事や経緯を把握することが重要です。意味をサラッと流してもらい、語源に注目してみてください。言葉の持つ歴史や、本当の面白さ、豊かさがわかります。

「只管打坐」の意味は?

「只管打坐」を辞書で引くと、次のような意味が出てきます。言葉を学ぶときは辞典・辞書は極めて有用です。
アナログ・デジタル・ネットどんな辞書でも構いません。こまめに辞書を引くクセをつけてください。
意味はさらっと、と言っていたのに辞書?と思われるかもしれませんが、辞書を引いてわかるものは意味だけではないのです。

ちなみに筆者はネットで調べる場合「コトバンク」と「goo辞典」を使用してます。

しかん-たざ
余念を交えず、ただひたすら座禅すること。▽仏教、特に禅宗の語。「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。「打坐」は座ること、座禅をすること。「打」は助字。「只」は「祇」とも書く。

出典:三省堂 新明解四字熟語辞典

辞書を引くと意味のほかに出典や用例を見ることができます。

先ほどからお話させていただいているように、大事なのはドラマ!であり文化!なので「意味」だけではなく「出典」とか書かれている箇所が非常に重要です。上記の辞書を確認すると出典:『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』との記載があります。

鎌倉時代に道元の開いた曹洞宗のテキストが基になっていることがわかるのです。

それでは今から800年前。鎌倉時代に中国から伝わった仏教の修行方法のお話です。

「只管打坐」の語源は?

道元は鎌倉時代初期の人。20代で修業のために中国(当時は南宋)に渡り、様々なお寺を訪ねて回った末、中国曹洞宗で只管打坐の禅を学び日本に伝えました。辞書にもある通り「只管」はひたすらとも読み、ただ一心にそのことをするという意味。「打」はするという意味で、英語でいうところの「Do」。「坐」は座るということですから、すべて文字通り。只管打坐は本当に「ただ座禅をしろ」という教えです。

\次のページで「「只管打坐」の使い方・例文」を解説!/

「只管打坐」の使い方・例文

「只管打坐」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

只管打坐の修行に堪える

ただ座る。簡単なようでこれはとてもつらいこと。曹洞宗の修行は日本仏教の修行の中でもかなり厳しい部類と言われています。

「只管打坐」の類義語は?違いは?

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では類義語を見てみましょう。同時期の別宗派の教えです。

「専修念仏」

せんしゅうねんぶつ

こちらは同じ時期の鎌倉仏教、法然の開いた浄土宗の教えですね。ただ座れと言ったのは只管打坐。こちらはただ念仏「南無阿弥陀仏」と唱えろという教えです。推奨する行為に差はありますし宗派が求める厳しさも全く違いますが、従来の仏教の要求していた数多くの要素は全て不要であり、その一つだけを行えばよいというシンプルな教えが共通しています。平安時代まで仏教はほとんど貴族のためのものであり、形式ややることばかりが多くなりお金もかかるものになっていました。方法に違いはあれど、鎌倉新仏教はそうした仏教のアンチテーゼであるという点は同じです。

\次のページで「「只管打坐」の英訳は?」を解説!/

「只管打坐」の英訳は?

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英訳を見てみましょう。ちょっと気分が変わる言葉です。

「Don't think... feel...」

「考えるな!感じろ!」
宗教の話ばかりですとすこし堅苦しいので、英語表現は映画の名ゼリフのご紹介。こちらスターウォーズの名脇役、ヨーダのセリフです。ヨーダというキャラクターは主人公を導く師匠となる存在なのですが、アジア的禅的な思想を伝えています。名前の由来も日本人のヨダさんからだとか。もちろん、アメリカ的な解釈になるので差異はありますが、雑念や雑考を停止し、無の境地に至ることで手に入るものがあるという発想は、只管打坐の英訳と考えても大枠にずれはないと言えます。

栄西の開いた臨済宗では公案といって問題を与えられて、考えながら座禅をしますし、お経を読みながら瞑想をする宗派もあります。そんなものはいらないと、ただ座っていろと。無になれとすら言っていません。無になれというのも一種の方便、わかりやすくするための補助線なのですね。本当は無も目的ではない。目的すらありません。じゃあ何なのかはの答えはやはり、「ただ座禅しろ。」なのです

仏教は基本的に「悟り」を開くことを目的としていますが、「悟り」のために座禅するのですらないそう。座っていることそのものが「悟り」の姿であり仏になったということだとか。そもそもが理性や感情、言葉を否定するところからがスタートですので頭で考えて理解しようと思うことが間違いなのでしょう。この教えの本質が知りたければ、ただ座禅をする他はないと言えます。

「只管打坐」を使いこなそう

「只管打坐」について解説いたしましたが、いかがだったでしょうか。「ただ座れ」ということ以外わからなかったとしても、それで十分な理解であると思います。西洋的な哲学は真理に向かって論理を積み上げハシゴを登っていくような作業をしますが、東洋的な哲学は真理はすでに目の前あって、修業の結果それが急に「わかる」するという考え方であることが多いです。考えて理解するものでもなく、まさに「悟る」のでしょう。「頓悟」という言い方もあります。だからこそ修行の技法を重視し、言葉での理解を求めません。むしろ、思考で理解したものは「悟り」ではないと排除する傾向がありますね。より身体的とか技的ということもできるでしょう。

スポーツ経験がある方は直観的にわかると思うのですが、スイングフォームやシュートフォームなど頭で理解してもできるわけではありません。軸を保てとか、膝をクッションのように使えとか、力を抜けとか。いろんなアドバイスはあるものの、それを聞いてできるわけではないですよね。繰り返しトレーニングする中でふと、「あ、こういうことか」と解かるものです。そうしたらもう忘れない。悟りとはそうしたものかもしれません。筆者自身は修業をしたわけでも悟ったわけでもないので言い切ることはできないのですが。悟りを開いたお坊さんにすら伝えられないので、ここではまぁよしとしてください。

それでも不満なら、お寺の門をたたいて修業された方がいいのでしょう。ひょっとしたら、悟りに至れるかもしれませんよ。

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【四字熟語】「只管打坐」の意味や使い方は?例文や類語も含めてセンター国語190点オーバーの古典・歴史マニアがわかりやすく解説!

この記事では「只管打坐」について解説する。

端的に言えば「只管打坐」の意味は「ただひたすらに座禅をする修行のこと。」ですが、四字熟語の多くは古典が基になっている。それを抜きに意味を覚えたところですぐに記憶から抜け落ちてしまう。元の話やドラマを理解しておくと、忘れないし、本当の意味で言葉を使うことができるぞ。

センター国語190点オーバーの古典・歴史マニアのライター タケダ タケシを呼んです。一緒に「只管打坐」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/タケダ タケシ

年間200冊を超える本を読み、センター試験国語では190点オーバーの無類の国語好き。同時に歴史・古典のオタクでもある。熱い語り口が特徴。満点に届かなかった理由は漢字の「書き」ができなかった模様。なお、数学の失敗で国立大にも受からなかったらしい。反面教師にしてくださいとは本人の弁。

「只管打坐」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「只管打坐」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
桜木先生もおっしゃっていましたが、意味をただ覚えることではなく、元になった故事や経緯を把握することが重要です。意味をサラッと流してもらい、語源に注目してみてください。言葉の持つ歴史や、本当の面白さ、豊かさがわかります。

「只管打坐」の意味は?

「只管打坐」を辞書で引くと、次のような意味が出てきます。言葉を学ぶときは辞典・辞書は極めて有用です。
アナログ・デジタル・ネットどんな辞書でも構いません。こまめに辞書を引くクセをつけてください。
意味はさらっと、と言っていたのに辞書?と思われるかもしれませんが、辞書を引いてわかるものは意味だけではないのです。

ちなみに筆者はネットで調べる場合「コトバンク」と「goo辞典」を使用してます。

しかん-たざ
余念を交えず、ただひたすら座禅すること。▽仏教、特に禅宗の語。「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。「打坐」は座ること、座禅をすること。「打」は助字。「只」は「祇」とも書く。

出典:三省堂 新明解四字熟語辞典

辞書を引くと意味のほかに出典や用例を見ることができます。

先ほどからお話させていただいているように、大事なのはドラマ!であり文化!なので「意味」だけではなく「出典」とか書かれている箇所が非常に重要です。上記の辞書を確認すると出典:『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』との記載があります。

鎌倉時代に道元の開いた曹洞宗のテキストが基になっていることがわかるのです。

それでは今から800年前。鎌倉時代に中国から伝わった仏教の修行方法のお話です。

「只管打坐」の語源は?

道元は鎌倉時代初期の人。20代で修業のために中国(当時は南宋)に渡り、様々なお寺を訪ねて回った末、中国曹洞宗で只管打坐の禅を学び日本に伝えました。辞書にもある通り「只管」はひたすらとも読み、ただ一心にそのことをするという意味。「打」はするという意味で、英語でいうところの「Do」。「坐」は座るということですから、すべて文字通り。只管打坐は本当に「ただ座禅をしろ」という教えです。

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