「モボ モガ」のモダンなライフスタイルと現代の影響を大学教員がわかりやすく解説
上原謙は昭和初期を代表する二枚目モダンボーイ
モダンボーイを代表する俳優のひとりが上原謙。言わずと知れた加山雄三さんのお父様です。1933年に松竹蒲田の採用試験に合格、二枚目のスター俳優としての道を歩みます。さまざまなジャンルの映画に出演し、モダンボーイファッションの浸透に貢献しました。
上原謙が活躍した松竹蒲田撮影所は当時の映画界に新風を吹き込む存在でした。一例となるのが、佐野周二、上原謙、佐分利信が出演した『婚約三羽鳥』。3人のモボによる恋愛コメディです。松竹蒲田は、流行を体現する若者を映画に出演させて新しいスターを生み出しました。
昭和初期の映画を西洋ファッションで彩った田中絹代
日本を代表する女優である田中絹代も、松竹蒲田撮影所で活躍したモダンガールのひとりです。彼女は、妹役、娘役、芸者役など、さまざまな役を見事にこなし、松竹蒲田の看板女優としての地位を確立します。
モガとしての田中絹代の姿が見れる映画のひとつが『大学は出たけれど』。小津安二郎監督による昭和4年の作品です。不況により大学卒業者の就職率が30%ほどであった昭和初期を舞台に、若者が仕事を探して奔走するコメディ映画でした。
「モボ モガ」ファッションは宝塚歌劇団の人気も後押し
投稿者がスキャン – 「夢を描いて華やかに 宝塚歌劇80年史」, パブリック・ドメイン, リンクによる
大正3年初公演を行ってから着実に人気を獲得してきた宝塚歌劇団。デパートで歌を披露していた三越少年音楽隊や白木屋少女音楽隊をヒントに作られました。岸田辰彌が日本で初めてとなるレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を制作。現在の宝塚の基礎がつくられます。
1930年代になると松竹歌劇団で男装スターが登場。そこで宝塚歌劇団も「男役」を導入しました。現在の宝塚歌劇団のスターシステムを支える「男役」と「娘役」のファッションは、山高帽子にヒラヒラのスカートと、モボ・モガを思い出させるものです。
洋装の女性によるラインダンスが大人気
宝塚歌劇団の舞台に欠かせないのがラインダンス。舞台上に全員が並んで、同じステップを踏むダンスのことです。主にカントリーミュージックにて踊られてきました。足を高く上げて踊る場面は、宝塚歌劇団の公演に必ず含まれていると言ってもいいでしょう。
昭和初期のモボ・モガが楽しんだ娯楽のひとつがダンス。パーティーなどで、カントリーやジャズの音楽に合わせて陽気に踊る若者が増えました。宝塚歌劇団のラインダンスは、ダンスに熱狂する当時の若者の心をつかみ、年を追うごとに豪華になっていきました。
男役のファッションはモダンボーイの名残
宝塚歌劇団のレビューのフィナーレで大階段から一人で降りてくるのは女性団員が男装する「男役」。スターシステムの頂点と言えよう存在です。男役は、男役ならではの話し方や振る舞いで女性の心をつかみ、宝塚歌劇団の人気を支える存在となりました。
男役の団員は、黒いスーツ、山高帽子、そして時にはステッキを操るモダンボーイスタイルが基本。当初、男装する団員のヘアスタイルはボブカットで、男装としては中途半端なものでした。松竹歌劇団の水谷八重子が短髪にしてから宝塚歌劇団もそれに倣い、現在に至ります。
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