「モボ モガ」のモダンなライフスタイルと現代の影響を大学教員がわかりやすく解説
モダンな女性はメイクにもこだわる
モダンな女性の特徴となるのは、ボブカット、ヒラヒラのスカートやワンピース、クローシェ帽、ハイヒールなど。なかでも、この時代に流行したファッションが「アッパッパ」。大きめでゆったりとした夏用の服装のことです。歩くと裾が広がる様子から名付けられました。
そしてモダンガールはメイクにもこだわります。メイクは比較的濃いめで、眉をしっかり描いて赤い口紅を塗りました。はっきりとした顔立ちに仕上げることがモダンガールのこだわり。主にハリウッドの映画女優のメイクがお手本となりました。
「モボ モガ」の活動の拠点は銀座周辺
モボ・モガが闊歩したエリアが銀座周辺。銀座エリア一帯は、火事対策のため早期から建物のレンガ化が進んでおり、モダンな雰囲気がありました。銀座のシンボルとも言えよう現在の和光の時計台は昭和初期にはすでに存在。当時は和光ではなく服部時計店でした。
昭和初期になると、和光に加えて松屋銀座などモダンな商業施設が立ち並び、モダンなファッションを発信基地となります。銀座は時代をリードするエリアとして発展。モダンなファッションに身を包み、日傘をさして颯爽と歩くモダンガールが、銀座に花を添えました。
銀座のデパートは最新ファッション情報の発信基地
現在の銀座のデパートというと、年配のお客様が多いイメージがあります。若者にとって銀座は、渋谷や池袋と比べるとやや敷居が高い場所。しかしながら昭和初期の銀座は、最新のファッション情報を求める若者で賑わっていました。
最新ファッションの情報基地となっていたのが、続々と誕生していたデパート。三越や高島屋は明治時代からありました。ただ、当初は畳上で接客する「座売り」が基本。徐々に広いフロアに洋服を陳列するスタイルを作り上げていきます。
銀座は「モボ モガ」の職場でもあった
銀座に建てられたデパートの多くは元呉服屋。そのため洋服の販売には力を入れていました。デパートでは、モガが店員とマネキンの両方の役割を担います。デパート店員は、外見も洗練されており、男性との交流も盛んだったことから、かなりモテる存在でした。
ファッションに加えて、デパートで積極的に発信されたのがメイク術。資生堂のような化粧品会社が「美容部員」の先駆けとなる女性たちを雇用。メイクをテーマとする舞台を上演し、そのあとに最新のメイクを実演・解説するということもありました。
「モボ モガ」を代表するのが映画俳優たち
松竹キネマ – http://www.geocities.jp/yurikoariki/ozuhizyou1ssss.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
モボ・モガのお手本のひとつがハリウッド映画。当時の俳優・女優のおしゃれなファッションとメイクは外見的な基本となりました。さらに日本映画にもギャング映画など欧米風のジャンルが登場。モダンなファッションに身を包む日本人俳優・女優が増えました。
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