現代社会

「モボ モガ」のモダンなライフスタイルと現代の影響を大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。「モボ モガ」とは、モダンボーイとモダンガールを省略した表現。大正時代の終わりから昭和初期にあらわれた若者を指す言葉だ。新しく生まれたサービス業を中心に、当時としては最新のファッションに身を包んで仕事をしていたことも特徴的だ。

昭和初期の流行の最先端をいく「モボ モガ」がどのような生活を満喫したのだろうか。それじゃ、現代に残る影響も踏まえながら、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒「モボ モガ」を解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。大正時代末期から昭和初期の文化を語るとき「モボ モガ」を避けて通ることはできない。「モボ モガ」を通じて、日本のライフスタイルの変化を読み解くことができる。そこで今回は「モボ モガ」が登場した背景や、関連する現象をくわしく解説する。

「モボ モガ」が登場したのは昭和初期

image by PIXTA / 27165389

「モボ モガ」とは、「モダンボーイ」と「モダンガール」の略。大正末期から昭和初期にかけて台頭した、西洋のライフスタイルを楽しむ若い男性・女性のことを指します。彼ら・彼女らは、生活スタイルだけではなく、職業や価値観の変化を象徴する存在でした。

モダンな生活を楽しむ若者たちを「モボ モガ」という

明治時代、大正時代と、日本人は食事や服装など、徐々に西洋化していきます。昭和初期になると西洋化の波が一気に拡大。モボとモガはそんな西洋風の生活を積極的に取り入れました。モダンな生活には、ファッション、グルメ、娯楽、仕事など、あらゆるジャンルが含まれます。

さらにモボとモガと呼ばれる若者は、日本の伝統的なしきたりとは異なる自由を満喫。たとえば、男女の交際が以前よりもオープンになりました。さらに肌の露出に対する考え方にも変化があらわます。半袖の服や水着を着て人前に出ることに躊躇がなくなりました。

西洋のライフスタイルの発信者となった「モボ モガ」

昭和初期は日本に進出する欧米の企業が増えてきた時期。欧米の企業は、自社の商品の消費者を増やすために、日本人に新たなライフスタイルを提案する必要があります。そこでモボとモガは、最新のファッションやライフスタイルを発信するインフルエンサー的役割も担いました。

モボ・モガを代表するモデルや俳優・女優が登場し、女性向けの雑誌の表紙を飾ることも。さらにモボ・モガたちは、デパートのサービス業務につき、ファッション、メイク、グルメなどの最新情報を、来店者に発信する役割も担いました。

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モボ・モガは、SNSは使わないものの当時のインフルエンサー的な存在だった。彼ら・彼女らのファッション、髪形、メイクは、これまでの日本にはなかったもの。都会の象徴であるモボ・モガに憧れる若者を増やし、口コミで流行させることを狙ったのだろう。

「モボ モガ」を特徴づけるのが洗練されたファッション

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ookikioo – originally posted to Flickr as IMG_9247, CC 表示 2.0, リンクによる

「モダンボーイ」と「モダンガール」をとくに特徴づけているのがファッションです。日本で洋装化が進んだのは明治時代から。ただ、洋装をする人は身分が高い富裕層に限られ、大衆化してはいませんでした。それが昭和初期になると風向きが一気に変わります。

男性は大正時代に和装から洋装にチェンジ

男性の洋装化は女性よりも早く、大正時代になるとかなり増えてきます。外見的な特徴となるのが、断髪、山高帽子、スーツ、ステッキなど。山高帽子はイギリス発祥のファッションアイテムです。羽織袴、マント、山高帽子と合わせて、和洋折衷で利用されることもありました。

さらに大正時代以降、伝統的なキセルたばこから紙巻たばこにシフトし、新しい銘柄が続々と登場します。葉巻たばこのパッケージには、モダンボーイ風のシルエットがデザインされることも。モボ・モガブームを象徴するアイテムとなりました。

\次のページで「モダンな女性はメイクにもこだわる」を解説!/

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