この記事では「ヘロフィロス」という人物について学んでいこう。

ヘロフィロスは医学の歴史を紐解くときにその名を目にする。古代に生きた人物ですが、彼の発見や功績は現代の医療にも通じるところがあるんです。

今回も、大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

ヘロフィロス

ヘロフィロス(Herophilos)は古代ギリシャの医学者です。医師として活動するかたわら、現代にもつながる医療の基礎をつくるのに大きく貢献しました。

かなり昔の人物のため、彼の人生の細かいところまではわかっていませんが、その功績の一部が他の科学者らの記録によって伝わっているんです。

生涯

ヘロフィロスの正確な生没年はわかっていませんが、おおむね紀元前300年ごろに生きていた人物だと考えられています。

生まれたのは小アジアにあったカルケドン(またはカルセドン)でした。これは現在のトルコにあるカドゥキョイという街で、イスタンブールから橋を渡ってすぐのところにあります。

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成長したヘロフィロスは、カルケドンから直線距離で500㎞近く離れたエーゲ海の島、コス島へうつります。この島にあった医学学校で学ぶことにしたのです。

コス島の医学学校の創設者はヒポクラテス(前460ころ~前375ころ)。紀元前にあって実践的な医療を行っただけでなく、医学の基礎を固めたり、医師の倫理についても論じた人物です。医学のはじまりに大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」「医聖」とも称されています。

この学校で、ヘロフィロスはプラクサゴラスという医師に指示し、医学を学んだと伝わっています。医学の基礎を身に着けたヘロフィロスは、エジプトのアレクサンドリアへ出て活動を始めました。

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ヘロフィロスのアレクサンドリアでの活躍は、さまざまなものが伝わっています。後述しますが、初めて公に人体解剖を行ったり、脳をふくめた神経系を詳しく研究するなどしました。それまで使われていなかった新しい薬を使った治療なども実践したようです。

その後ヘロフィロスがいつどこで、何歳で亡くなったかは分かっていません。しかしながら、彼の残した人体の知識は現在でも生き続けています。

ヘロフィロスの功績

人体解剖を行った

ヘロフィロスの実績としてよく言及されるのが、初めて公に人体解剖(死体の剖検)を行ったという記録です。

私たちの今の感覚では、医師は解剖学を学び、ヒトの体の中のようすを熟知したうえで治療に当たるというのが当たり前。ところが、ヘロフィロスの時代はまだ人体解剖が認められておらず、症状や経験則から治療法を編み出すことが精一杯でした。あの“医聖”ヒポクラテスにあっても、解剖学的な知識は乏しかったといわれています。

そのような時代に、ヘロフィロスは公然と人体解剖をおこないました。

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ヘロフィロスは人体を自らの手で暴くことで、内臓や血管、神経の形や場所を確認することに成功します。眼や消化管、生殖器といった複雑な器官も観察したといわれていますが、実際のところ、ヘロフィロス本人の著書などは残っていません。ヘロフィロス以降の医学者であるケルススやガレノスといった人物らの著書に、「ヘロフィロスがこう記している」というような引用が見られるのです。

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脳や脊髄を詳細に観察した

ヘロフィロスが人体を解剖して得た知見のなかでも特筆すべきは、脳や脊髄などの神経系に関するものです。彼は脳と、脳からつながる脊髄、脊髄から連なる神経をよく調べました、そして、神経が運動神経と感覚神経に区別できることを見つけます。

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さらにヘロフィロスは脳の解剖も行いました。大脳や小脳を区別し、脳膜などについても記録を残したといいます。最終的にヘロフィロスは、人間の“知性”が脳にあるということを認めたのです。

このような偉業をたたえ、ヘロフィロスの名前がある医学用語に使われています。後頭部のあたりに、脳の血管が交わる静脈洞交会(じょうみゃくどうこうかい)という部分があるのですが、これを英語ではtorcular Herophiliとよぶのです。

膵臓を記録した

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ヘロフィロスは膵臓(すいぞう)について詳しい記述を残したことでも知られています。膵臓は、胃の下に位置し、胃と小腸の間(十二指腸)へ膵液(すいえき)という消化液を分泌する臓器です。ヘロフィロスは、膵臓が膵液を分泌することや、それが消化に役立っているということまで記述したと伝わります。

膵臓に名前が付けられたのはヘロフィロスから数百年後のこと。1世紀ごろにルフスという人物が「pancreas(パンクレアス)」という名をつけました。

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新しい医療を実践した

研究者としての成果だけでなく、ヘロフィロスは臨床の現場でも優れた功績を残したと伝わっています。

ヒポクラテスの科学的な医学を受け継ぎ、新薬を使用したり、食べ物からとる栄養が治療に重要であることも認識していました。また、治療のために瀉血(しゃけつ)を行うこともあったといいます。

先進的医学者ヘロフィロス

解剖という手法で人体を暴いたヘロフィロス。現代のわれわれから考えれば医師が解剖学を学ぶのは自然なことですが、ヘロフィロスを含む限られた科学者以外は人体解剖を避けていました。

実際、彼の死後はほとんど解剖は行われず、その後医学のために解剖が行われるようになったのは1600年後です。ヘロフィロスが時代を先取りした医師だったということが、お分かりいただけたかと思います。

イラスト使用元:いらすとや

" /> 「ヘロフィロス」って何した人?現役講師がわかりやすく解説 – Study-Z
タンパク質と生物体の機能理科生物

「ヘロフィロス」って何した人?現役講師がわかりやすく解説

この記事では「ヘロフィロス」という人物について学んでいこう。

ヘロフィロスは医学の歴史を紐解くときにその名を目にする。古代に生きた人物ですが、彼の発見や功績は現代の医療にも通じるところがあるんです。

今回も、大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

ヘロフィロス

ヘロフィロス(Herophilos)は古代ギリシャの医学者です。医師として活動するかたわら、現代にもつながる医療の基礎をつくるのに大きく貢献しました。

かなり昔の人物のため、彼の人生の細かいところまではわかっていませんが、その功績の一部が他の科学者らの記録によって伝わっているんです。

生涯

ヘロフィロスの正確な生没年はわかっていませんが、おおむね紀元前300年ごろに生きていた人物だと考えられています。

生まれたのは小アジアにあったカルケドン(またはカルセドン)でした。これは現在のトルコにあるカドゥキョイという街で、イスタンブールから橋を渡ってすぐのところにあります。

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成長したヘロフィロスは、カルケドンから直線距離で500㎞近く離れたエーゲ海の島、コス島へうつります。この島にあった医学学校で学ぶことにしたのです。

コス島の医学学校の創設者はヒポクラテス(前460ころ~前375ころ)。紀元前にあって実践的な医療を行っただけでなく、医学の基礎を固めたり、医師の倫理についても論じた人物です。医学のはじまりに大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」「医聖」とも称されています。

この学校で、ヘロフィロスはプラクサゴラスという医師に指示し、医学を学んだと伝わっています。医学の基礎を身に着けたヘロフィロスは、エジプトのアレクサンドリアへ出て活動を始めました。

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