
「天理教」の位置づけは神道系

世界には歴史を通じて、神道系、仏教系、キリスト教系を軸に多種多様な宗教が成立しました。このなかで天理教は神道系の新興宗教に位置づけられます。そのため天理教の儀式は仏式よりも神式に近いとされました。
吉田神道を継承する吉田家当主により認可
中山みきは、最初は独自に活動していましたが、慶応3年に京都の吉田神道に認可されます。これは室町時代に起源がある神道の一流派。室町時代の神職である吉田兼倶が作り上げたもので、教義のほとんどが兼倶が確立しました。
その教義は、儒教、仏教、道教など、多種多様な宗教を取り入れたもの。古田神道は、近世の人々の生活のなかに浸透し、大きな力を持つ存在でした。現在、京都市左京区に吉田神社が設置されています。
江戸時代後期に神道系3代新興宗教が台頭
江戸時代の終わりに登場した主要な新興宗教はすべて神道系です。現在も残っているのが、天理教、金光教、黒住教の3つ。新興宗教がこれだけ生まれたことから、いかに江戸時代の人々が新しい教えを望んでいたのかが想像できるでしょう。
金光教は岡山県に拠点がある神道十三派のひとつ。そして黒住教は、教派神道のひとつで、同じく岡山県が発祥の地です。江戸時代末期は、この3宗教以外にも同様の信仰集団が生まれました。しかし、自然と消滅したものも多かったようです。
「天理教」は江戸時代末期の新興宗教ブームに起源がある
「天理教」は、歴史的にみると江戸時代の末期の人々の状況や心理を読み解くヒントとなる存在。近年の日本でも、たびたび新興宗教の拡大が論じられますが、現代だけでの現象ではないことが、天理教の成立過程から分かります。長らく続いた江戸幕府は、末期になるとかなり疲弊し、上手く統制がとれない状況になりました。そのようななか、江戸時代末期になると、生活苦から不安感が高まり新しい教えにすがる人々が増えたのです。そのような文脈のなかで「天理教」を見てみると、歴史的に興味深い発見が出てくるでしょう。