
お祭りや集団行動を幕府は規制
このような背景から、農民たちが一致団結しないように幕府の統制が厳しくなりました。農民の楽しみのひとつであるお祭りもその対象。お祭りがあると人が集まり、一揆が起こされるきっかけになると考えられました。そこで農民たちの祭りや宴会は禁止されていきます。
また、農民たちの立ち話から幕府や藩に対する不信感が高まると考え、井戸端会議も禁止されるように。日本各地で「3人以上集まることの禁止」「意味もなく立ち話をすることの禁止」など、集団化を禁じるお触れが出されます。農民たちのたまった不満が爆発することを幕府は恐れていたのでしょう。
現世での救済を求める風潮から新興宗教が増加

農民たちのギリギリの状況は宗教観に変化をもたらします。現世でよき行いをすれば「来世」で救われるというのが仏教の基本的な考え方。しかしながら江戸時代末期の農民たちは「現世」で救済されることを望みました。そのような風潮から新しい教えが支持されるようになります。
伝統的な宗教に対して不信感が抱かれるように
江戸時代は、現代にも残る檀家制度が定着した時代です。江戸幕府は人々がお寺に帰属する制度を確立。お寺を介して人々を統制することが幕府の狙いでした。その結果、大衆とお寺のあいだには「檀家」という関係が作られます。
しかしながらお寺は幕府側の立場。また、人々を救うのではなく金儲けに走るお寺も少なくありませんでした。そのため伝統的な宗教は自分たちに寄り添っていないと、不信感を持つ人が増えていきます。そこで人々は、自分たちを救ってくれる新たな教えや宗教者を望むようになりました。
疫病の流行から人々は「現世」の救済を望む
凶作による貧しさに苦しむなか、さらに追い打ちをかけるように疫病も流行します。とくに生活苦が著しかった農民たちの被害は大きくなりました。生活苦から人々は「現世」で救ってくれる人を乞うように。そこで病気を治す力があるなどのうわさが広まると、奇跡を求めて人々が大行列を作るようになりました。
もともと日本には、祈ることで奇跡を実現させる「祈祷師」が地域に定着。それに加えて「手を触れたら病気が治った」など、人間の力をはるかに超えた人物のうわさも広まるようになりました。それが本当かどうかはさておき、それほど農民たちの生活は余裕がない状態。来世まで待つ時間はありませんでした。
「天理教」の教祖中山みきとは
Ozaki baka – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
中山みきの本名は前川美支(みき)。中山家に嫁いだことで姓が変わりました。明治期は書物などで「中山美支」と表記されていましたが、現在は「中山みき」が公式な表記であるとされています。
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