地学地質・歴史理科

人類の時代「新生代第四紀」とは?理系ライターがわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は新生代第四紀について解説していくぞ。

新生代第四紀はなんといっても人類の時代だ。むしろ、人類の時代を新生代第四紀といってもいいだろう。人類が繁栄した新生代第四紀という時代を見ていこう。

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/トオル

物理学科出身のライター。広く科学一般に興味を持つ。初学者でも理解できる記事を目指している。

新生代第四紀

image by iStockphoto

新生代は約6600万年前から現在までを表す地質時代であり、古いほうから古第三紀、新第三紀、第四紀に分かれています。第四紀はそのうちの一番新しい時代であり、期間は約258万年前から現在までです。地質年代は通常生物化石の入れ替えに基づいて決定されますが、第四紀だけはヒトの出現と関連付けられています。つまりヒトの時代と言っても過言ではないでしょう。

ヒトと猿が分岐したのは第四紀よりずいぶん前ですが、ホモ属つまり原人と呼ばれる存在が出現するのが第四紀からです。第四紀を調べることは、ホモ属がどのような世界で生きていたのかを調べることになります。今回は第四紀の環境についての簡単に紹介した後、人類の進化について紹介してみましょう。

氷期・間氷期サイクル

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This image was produced by Robert A. Rohde from publicly available data, and is incorporated into the Global Warming Art project. – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

第四紀は寒冷な時代であり、氷床が発達した寒冷な氷期、氷床が後退したより温暖な間氷期とが繰り返し訪れました。気候変動の振幅は第四紀に入ってから非常に大きくなってきたようです。この気候変動の原因は、20世紀初めの物理学者ミランコビッチが唱えたミランコビッチ理論によって説明されています。

ミランコビッチは地球の軌道要素が周期的に変化することによって、特に北半球高緯度の夏の日射量が周期的に変化し、周期的な気候変動が引き起こされると考えました。日射量に影響を与えるのは公転軌道の離心率、自転軸の傾き、自転軸の歳差運動があります。これらの時間変化は離心率の変化で約10万年と40万年、自転軸の傾きは約4万年、自転軸の歳差運動は約2万年の周期で変動しているようです。これらの周期を合わせたものをミランコビッチサイクルといいます。

この理論はミランコビッチの生前には必ずしも受け入れられませんでしたが、彼の死後、過去80万年間の気候変動をうまく説明できることがわかってきたため、一躍脚光を浴びることになりました。上記の画像はミランコビッチサイクルを表した画像で、上から、歳差運動、自転軸の傾き、公転軌道の離心率で、これらより計算した北緯65度での日射量が4番目で、最後は実際の氷床量です。計算した日射量の周期と、氷床量の周期が似ているように見えます。

最終氷期の地球

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By JuschkiOwn work This file was derived from:  Europe topography map.png erstmals hochgeladen von San Jose, CC BY-SA 4.0, Link

氷期(俗語では氷河期)とはどんなものであったのか最終氷期で確認してみましょう。最終氷期とは約7万~1万1700万年前までの時期で、何度も繰り返された氷期・間氷期サイクルの一番最近の氷期を指します。最終氷期においては、気候は変動しながら徐々に寒冷化していき、今から約2万6500~1万9000年前、世界各地の氷床の広がりはピークに達しました。

北米大陸ではカナダ全域から米国の五大湖周辺まで、ユーラシア大陸ではヨーロッパ北部全域から西シベリア北部まで、南米大陸ではチリ南部が氷床で覆われていたようです。もちろん南極大陸のすべて、ヒマラヤ・チベット地域やアンデス山脈などの山岳地帯も氷河に覆われていました。

この最寒冷期には、大陸上に大規模な氷床が発達したため、海面は現在より1300メートルも低下していたようです。この結果、現在の東南アジアの海域は大きな陸地となり、アジアとアラスカはベーリング地峡によって陸続きとなるなど、現在の浅い海底の多くが陸地として姿を現していました。

北半球の氷床の融解は2万~1万9000年前に、そして西南氷床の融解が、1万5000年~1万4000年前に始まったようです。上記の画像は氷期のヨーロッパでの氷床の様子になります。青い点線が最終氷期での氷床の範囲です。

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新生代第四紀は気候変動の激しい時代だったようだ。氷期・間氷期の周期を基本的に決めているのは日射量の変動らしい。現在は間氷期であると考えられている。

人類の出現

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Didier Descouens投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

今から2800万年~2400万年前ごろの古第三紀の斬新世に、狭鼻猿類からヒト上科が分岐しました。そして、今らか約700万円前の新第三紀の中新世においてヒト属がチンパンジー亜族とヒト亜族に分岐します。このヒト亜族こそが人類のことであり、この時点で人類が出現しました。初期の人類は、脳の容量がまだ小さく猿人と呼ばれていますが、尾がなく直立二足歩行だったと考えられています。

最初期の人類は、700万年~600万年前のアフリカ中部で発見されたサヘラントロプス族です。その後アルディピテクス族が出現、新第三紀の鮮新世の400万年~200万年前にはアウストラロピテス族が出現し、南アフリカを含む東アフリカ一帯に生息していました。脳の容量は現生人類の35パーセント程度で、チンパンジーと同程度だったようです。

240万年前ごろ最初期のヒト属であるホモ・ハビリスが登場します。これをもって第四紀がはじまりました。ホモ・ハビリスは原人とよばれ、脳は現生人類の半分程度、石器を使っていたことが顕著な特徴で、ここから旧石器時代がはじまります。その後ホモ・エレクトスが出現し、ホモ・エレクトスは現生人類の75パーセント程度の大きな脳を持っていたようです。

東アフリカのホモ・エレクトスからホモ・ネアンデルターレシスとホモ・サピエンスの共通祖先が約50万年前ごろに分岐しました。そして、約20万年~約30万年前のアフリカでホモ・サピエンス、すなわち現生人類が出現したと考えられています。

上記の画像はサヘラントロプスの頭蓋骨の画像です。

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