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17世紀のイングランドで起こった「清教徒革命(ピューリタン革命)」を歴女が5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は「清教徒革命(ピューリタン革命)」についてだ。

これは17世紀のイギリス(厳密にはイングランドだがここではイギリスで統一するぞ)で起こった市民革命だ。当時の国王チャールズ1世は専制政治を行って長らく議会を開いてなかったんだ。ところが1640年にスコットランドの反乱が原因で議会を開くことに。だが当然のごとく、国王と議会は対立して内乱へと繋がることになったんだ。

それじゃあヨーロッパの歴史に詳しい歴女のまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパの歴史が好きなアラサー歴女。特にイギリスやオーストリア、フランスの王家に関する書籍を愛読中。今回は17世紀のイングランドで起こったピューリタン革命(清教徒革命)について解説していく。

1 チャールズ1世

image by iStockphoto

17世紀のイギリスにおいて起こったピューリタン革命。これによって当時の国王、チャールズ1世は処刑されることになりました。この章ではそんなチャールズ1世の人物像について見ていきましょう。

1-1 期待されていなかったチャールズ

チャールズ1世が生まれたのは、スコットランドのダンファームリン。チャールズには6歳上の優秀な兄ヘンリー・フレデリックがいました。幼い頃のチャールズは誰からも期待されない幼少期を過ごすことに。彼は小柄吃音があり、小児麻痺の影響からか足が少々不自由でした。しかしチャールズに転機が。なんと優秀だった兄が急死。そのため、父ジェームズ1世はチャールズに帝王教育を施すことに。

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もともとは王になる立場ではなかったチャールズだったが、兄の死によって運命が変わることになったんだな。もしも兄が健在だったなら、その後革命によって処刑されなくて済んだかもしれなかったと考えると運命って残酷だよな。

1-2 妃はフランス王女

こうして時期国王となることになったチャールズ。そんな若いチャールズにはプリンセスが必要ということで、花嫁探しが始まりました。かつて大国スペインをアマルダの海戦で破ったエリザベス1世の時代とは様子が政治情勢が異なることに。イギリスはかつてスペインに対して敵対的な関係であり、代わりにスペインと対立していたオランダを支援していました。しかし17世紀になると、輸出業でオランダと競うことになることに。こうしてかつての友好国はライバル国となり、かつての敵国(スペインやフランス)とは関係が改善されていくことに。まずスペインに打診しますが、失敗。次にフランスと交渉しアンリ4世マリー・ド・メディシスの末娘ヘンリエッタとの婚姻が決定することに。

1-3 プロテスタントとカトリックの結婚

しかしイギリスはプロテスタント国。片やフランスはカトリック国として知られています。一体なぜこの両者の結婚が決まったのでしょうか。

それはヘンリエッタのもたらす潤沢な持参金。財政的には彼女を王妃とするのはとても魅力的でした。余談ですが、これまでもプロテスタントとカトリックの結婚があった(アンリ4世と彼の前妻マルグリット)ため、絶対にありえない結婚というわけではなかったのかもしれませんね。ちなみに2人の結婚についてヘンリエッタは彼女の信仰を阻害されないため、宮殿に礼拝堂を建てさせてそこでミサを行うことを要求していました。こうして莫大な持参金を手にすることができましたが、カトリックのヘンリエッタを王妃として迎えたことはチャールズの人気に影を落とすことに。

\次のページで「1-4 憎まれ王妃ヘンリエッタ」を解説!/

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