これまで長い間出版の仕事に携わってきましたが、先生のこの作品はまさに一世一代の名作だと思います。
無頼派の作家織田作之助の『可能性の文学』には、大阪の将棋の棋士である阪田三吉が一世一代の大勝負に出て敗れたことが書かれている。
二・二六事件とは、陸軍の将校たちが一世一代の覚悟でクーデターを企てて蜂起した事件である。
その女性歌手は、人気曲がヒットした頃のジャケットを着て、引退コンサートの一世一代の舞台に立ったのでした。
「一世一代」は、語源的には歌舞伎などの舞台の用語でしたね。引退するときは、それが最後の舞台ですからまさに一生に一度の舞台ということになりますが、役者たちは、必ずしも引退するときではなくいつでも、これが一世一代の晴れ舞台だという覚悟を持っていたそうですよ。それはもちろん歌舞伎だけではなく、演劇でもコンサートでも同じことですね。
また、歴史的事件なども、それを起こした人たちはどんな覚悟を持っていたのでしょうか。「一世一代の大博打(ばくち)」などという用語もありますが、今日のこの瞬間にすべてを賭けるほどの覚悟を、「一世一代」という慣用句は求めているのかもしれませんね。
「一世一代」の類義語は?違いは?
「一世一代」の類義語として、「千載一遇」と「空前絶後」を紹介しておきます。これらの四字熟語はどちらも、一生涯よりはるかに長い時間を想定していますが、時間はそれほど関係ないですね。使い方がそれぞれ違いますので、ここで解説しますね。
「千載一遇」
「千載一遇」の読み方は「せんざいいちぐう」で、この四字熟語の意味は「千年に一度の出会い」ということになりますね。「一世一代」が「一生に一度だけ」ということですから、千年は人生百年時代でも一生涯の10倍ということになりますね。それほど貴重な瞬間ですから、「千載一遇のチャンス」という使い方をしますね。
「運は前から掴め」ということわざがあるけれど、これは間違いなく千載一遇のチャンスだから、あなたは決して逃してはなりませんよ。
「空前絶後」
「空前絶後」は、「後にも先にもない」という意味で、想定されている時間は永遠の時間なのですよ。その出来事がそれほどまれなことだ、ということですね。「一世一代」のような「覚悟」を含むことはありませんよ。
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