
有名なキュリー夫妻、ピエールとマリってどんな人?家庭教師が5分でわかりやすく解説
キュリー夫人として伝記を読んだことのある人も多いでしょう。またキュリーという単位や由来した元素があったりと用語として聞いたことがあるかもしれない。キュリー夫人は放射能について研究し、新たな元素を発見したことでノーベル賞を受賞している。素晴らしい研究で受賞したキュリー夫人ですが、すごいのはそれだけではない。キュリー夫人のノーベル賞には3つの快挙がある。
そんなリケジョの先駆者であるキュリー夫人について小学生の頃は科学者の伝記をよく読んでいたリケジョ、たかはしふみかが説明します。

ライター/たかはし ふみか
高校は化学部、大学は工学部化学系院卒のリケジョ。大学時代のバイトは家庭教師と実験アシスタントをしていた。よく図書館でキュリー夫人やニュートン、ファーブルといった研究者の伝記を借りて読んでいた。
キュリー夫人てどんな人?キュリー夫人の生涯
日本でキュリー夫人として知られるマリ・キュリー(マリー、マリアという表記もあります)。本名はマリア・スクウォドフスカ=キュリーといいます。
キュリー夫人は 放射能の研究によってノーベル物理学賞、ラジウムとポロニウムの発見そしてラジウムの性質およびその化合物についての研究でノーベル化学賞を受賞しました。そんなキュリー夫人の生涯について解説します。
放射能などについて知りたい人はこちらの記事を参考にしてください。
こちらの記事もおすすめ

知っておきたい「放射性物質」の基礎知識を理系学生ライターが5分でわかりやすく解説
ラジウムについてはこちらの記事をどうぞ。
こちらの記事もおすすめ

3分で簡単にわかる「アルカリ土類金属」!元素の特性や炎色反応も元家庭教師がわかりやすく解説
リケジョの先駆け、マリ・キュリーの青春

マリ・キュリーは1867年11月7日生まれで、ポーランドのワルシャワの出身です。父親は大学で数学や物理を教えていた科学者、その父(マリの祖父)も物理や化学を研究する科学者という研究者の家系で、さらに母親は女学校で校長を務めていました。
幼い頃から聡明な少女で、優秀な成績で中等教育を終えます。しかしその時代女性の進学は一般的ではありませんでした。そこで1年ほど田舎でのんびりし、その後は家庭教師をしながら「さまよえる大学(ワルシャワ移動大学)」という非合法の大学で学びます。
その後、農工博物館の実験室で技能を習得したマリ。ところで、マリは以前家庭教師をしていた家の息子と恋仲になっていましたが身分の違いから恋に破れ、フランス行きを決心します。そして当時ではまだ珍しく女性が科学を学べたソルボンヌ大学で物理や数学、化学を学んだマリ。1893年に物理学の学士を取得します。
キュリー夫人として夫婦二人三脚の研究生活
細々と研究者として生活をしていたマリは知人の紹介でピエール・キュリーに出会います。その頃ピエールはパリの高等専門大学で教職についていました。ピエールの熱烈な求婚を受けて1895年に結婚。
1897年に娘のイレーヌを出産しますがそれでもマリの研究への情熱は衰えません。ピエールと共にマリはアンリ・ベクレル(フランスの物理学者)が報告したウラン塩が放射する光線(放射線)について研究します。そして1898年に夫婦連名で7月にポロニウム、12月にラジウムと新元素に関する論文を発表しました。どちらも放射性元素です。この研究が評価され、1903年にマリは夫のピエールとアンリ・ベレクルと共に「アンリ・ベクレル教授が発見した放射現象に対する共同研究において、特筆すべきたぐいまれな功績をあげたこと」としてノーベル物理学賞を受賞します。
\次のページで「夫の死後も続けた研究」を解説!/