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スコットランド王「ジェームズ6世」とは?なぜステュアート朝を開くことに?歴女が5分で解説!

よぉ、桜木建二だ。今回は16世紀から17世紀にかけてスコットランドを治めた王、ジェームズ6世(ジェイムズ6世)についてだ。彼は隣国イングランド女王エリザベス1世の死後に彼女の後継者となってイングランド王となることになったんだ。

そんなジェームズ6世について歴女のまぁこと一緒に彼の生い立ちやその治世を詳しく解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。特にヨーロッパの王室に関する書物を愛読中。今回はステュアート(スチュアート)朝の初代国王でもあるジェームズについて解説していく。

1 ステュアート朝の始祖

image by iStockphoto

ジェームズ6世はもともとスコットランド国王でした。しかし1603年に隣国イングランド女王のエリザベス1世が崩御。これをきっかけにスコットランドとイングランド王を兼任することに。イングランドではジェームズ1世と名乗ることになるジェームズですが、詳しく見ていきましょう。

1-1 ジェームズの誕生

ジェームズは1566年の6月19日にスコットランドのエディンバラ城で生まれました。母は、スコットランド女王のメアリー・ステュアート。そして父はダーンリー卿。ちなみに彼は女系継承となりましたが、父の家系図を辿れば、彼もまたステュアート家の一員でした。ちなみに母メアリー・ステュアートは2回目の結婚となることに。1度目の結婚では、フランスのフランソワ2世としていましたが、彼が若くして亡くなったため故郷スコットランドへ帰りました。

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ちなみに当時のフランスはスペインと共にヨーロッパで覇権を握るほど栄えていた国だったんだ。メアリーは幼少期にフランスに渡って優雅なフランス宮廷で過ごしたため、スコットランドに戻ってからはミニフランス宮廷を作って贅沢三昧をしていたそうだ。

1-2 生後1歳で即位

ジェームズが1歳とならない内に父ダーンリー卿が爆殺されました。更に驚くべきことに、この殺害に関与したとされるボスウェル伯と母メアリーは3回目の結婚式をすることに。このため、国民や貴族らの反発を受け、ボスウェルは殺害されメアリーは廃位されます。こうしてまだ1歳でジェームズはスコットランド王となることに。ちなみに実際の政治はジェームズの遠縁の親戚が担います。ところが摂政は彼が17歳で親政を開始するまでに4人という数に。これは政敵に次々と摂政が暗殺されてしまったため。ジェームズは15歳の時に自身の摂政を処刑することに。そして親政を始めようとした時に今度は幽閉。1年後に脱出し、自身の敵を排除してから彼は晴れて親政を始めます。

1-3 スコットランドでの統治

ジェームズが一番先に行った政治は、宗教問題。当時のスコットランドは長老主義の影響力が強力で、聖職者の任命権はたとえ王であっても権利がなく、長老会議で決定するとされていました。そのため、ジェームズは1584年に暗黒法を制定。これは国王が最高主権者であり、長老会議では国王などに反対する説法を禁止したもの。しかしこれは反発の声が高まったためジェームズは後に譲歩することに。当時のジェームズが治めていたスコットランドでは政治、情勢が不安定だったこと国王の権限が弱かったことが分かりますね。

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