この記事では「馬の耳に念仏」について解説する。

端的に言えば馬の耳に念仏の意味は「忠告しても無駄」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元国語塾講師でことわざが好きなライターのトミー先生を呼んです。一緒に「馬の耳に念仏」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/トミー先生

元国語塾講師で、通信教育で英語と国語の「赤ペン先生」などもやっていた。実はドイツ語が得意で、外国語を学ぶことにより国語を理解するのに役立つと実感している。「馬の耳に念仏」について、語源と意味と使い方を自分でしっかり理解できるよう、わかりやすく解説していく。

「馬の耳に念仏」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「馬の耳に念仏」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。この慣用句の読み方は、「うまのみみにねんぶつ」ですが、さて、馬にお坊さんが念仏を聞かせたら、どうなるでしょうか。ありがたい念仏に馬が心を揺り動かされて悟りを開く、などということはありませんね。

ということで、馬には何を言っても通じないということから、「馬の耳に念仏」は、どんな忠告にも耳を傾けない愚かな人を嘲笑して用いることわざなのですね。

「馬に念仏」の意味は?

「馬に念仏」には、次のような意味があります。手元にある辞典には、次のように書かれていますね。

馬にありがたい念仏を聞かせても無駄である。いくら意見をしても全く効き目のないことのたとえ。馬の耳に風。馬耳東風。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「馬の耳に念仏」

馬の耳に念仏」は、どれほどありがたい念仏であっても、馬にとっては何の価値もないということですね。どんな忠告にも耳を傾けず、自分勝手な行動をする人を見かけたことはありませんか。もしかしたら、そういう人が周りにたくさんいるかもしれませんが、「馬の耳に念仏」として諦めるか、それでもなお説得しようと努力するか、いずれにせよ苦労させられますね。

「馬の耳に念仏」の語源は?

次に「馬の耳に念仏」の語源を確認しておきましょう。さきほど引用した国語辞典に、「馬耳東風」という四字熟語がありましたね。この表現は、「馬の耳に念仏」とほぼ同じ意味だと考えいいでしょう。「東風」とは「東の風」、つまり春風ですね。馬には、ありがたい念仏が理解できないように、冬が去ってようやく春になったこともわからない、ということですよ。

さて、この「馬耳東風」ですが、中国の有名な詩人である李白の詩に、「世の中の人はそんなに貴重なアドバイスを受け入れない、まるで馬耳東風のように」という意味の一節があるということで、それが由来ですね。李白はまさに「馬耳東風」を世間の人たちを批判する格言として用いていたわけです。

「馬の耳に念仏」の使い方・例文

馬の耳に念仏」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。これらの例文の「馬の耳に念仏」を「馬耳東風」と言い換えても、ニュアンスが少し違うだけで、意味はほとんど変わりません。

\次のページで「「馬の耳に念仏」の類義語は?違いは?」を解説!/

あんなヤツにいくら注意してみても、いつも「馬の耳に念仏」なんだから、何の意味もないよ。

部下たちにせっかく問題解決のためのヒントを与えているのに、まるで「馬の耳に念仏」だね。

最近の子供はみんな「馬の耳に念仏」なのだから、親の言うことを聞かないからといって気にすることはない。

どんな忠告もアドバイスも、もちろん叱責も、何の役にも立たないことはよくあることですね。馬ではなく人間こそまさに、「馬の耳に念仏」を実践しているのかもしれませんね。

「馬の耳に念仏」の類義語は?違いは?

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馬の耳に念仏」の類義語として、「猫に小判」と言うのがあります。また、「釈迦に説法」を類義語に入れるべきかどうか、少し迷うところですが、その違いについて説明してみますね。

「猫に小判」

猫に小判」は、猫に小判という高価なものを与えてみても、猫にとっては食べられるわけではないので、何の価値もないという意味になりますね。「馬の耳に念仏」とその点ではよく似ていますが、念仏と違って小判は目に見えるものですから、「馬の耳に念仏」が忠告しても無駄というのに対して、「猫に小判」はそんな貴重な助言や品物をあげてはもったいない、という感じですね。

えっ、あいつにランキングトップで人気のフィギュアをあげちゃったって?それはまるで「猫に小判」だね。

「釈迦に説法」

釈迦に説法」は、仏教の開祖であるお釈迦様に、仏教の教理を説いてみても無駄である、という意味になりますね。そんなアドバイスをしても無駄だという点では「馬の耳に念仏」と同じなのですが、その相手が、何でもご存知のお釈迦様なのか、何を聞いても理解できない馬なのか、というところが違っていますね。

\次のページで「「馬の耳に念仏」の対義語は?」を解説!/

君よりその仕事について詳しい彼にそんなアドバイスをするなんて、まるで「釈迦に説法」だね。

「馬の耳に念仏」の対義語は?

馬の耳に念仏」の対義語としては、「馬にニンジン」や「猫にカツオブシ」が考えられますね。馬の好物はニンジンで、猫はカツオブシが大好きだということは知っていますね。

「馬にニンジン」

馬に説教してみても何の役にも立ちませんが、好物のニンジンを見せたら、さて、どうなるでしょう。人を動かすのに、何かご褒美をちらつかせるという方法がありますが、「馬にニンジン」はまさにそのことを表していますね。

彼女におすすめメニューを見せたら、きっと「馬にニンジン」の効果があるはずだ。

「猫にカツオブシ」

猫はそもそも魚が好物ですが、なかでもカツオブシは独特の匂いがありますから、猫はその匂いを嗅ぎつけて走り寄ってきます。「馬にニンジン」よりも「猫にカツオブシ」の方が、少し躍動感があるかもしれませんね。

彼にそのブログを教えたら、それこそ「猫にカツオブシ」だから、大変なことになるぞ。

「馬の耳に念仏」の英訳は?

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馬の耳に念仏」は「馬耳東風」と言い換えることができますので、それをそのまま英語に訳してHorse ear east wind(馬の耳、東の風)と言ってみても、肝心の意味は伝わらないと思いますね。praying to deaf ears(耳の聞こえない人にお祈りする)が、「馬の耳に念仏」に相当する英語のことわざですね。英会話でことわざを使うと、レベルが上がりますよ。

\次のページで「「praying to deaf ears」」を解説!/

「praying to deaf ears」

prayは「お祈りする」ということで、その意味では「念仏」と似ていますね。仏教とキリスト教の根本的な相違点は、人間と動物の間に一線を画するか画さないかかということで、無駄とはいえ馬に念仏を唱えることはできますが、馬にキリスト教の説教をすることはできませんから、人間の「聞こえない耳」が相手ということになりますね。

Your advice to him is praying to deaf ears.
君の彼へのアドバイスは、「馬の耳に念仏」だ。

「馬の耳に念仏」を使いこなそう

この記事では「馬の耳に念仏」の意味・使い方・類語などを説明しました。他人から受けた手厳しいコメントは、ときにはズバリと一撃を与えられて「耳に痛い」かもしれませんが、「馬の耳に念仏」として無視するのではなく、ひとつひとつしっかりと聞き入れて、これからの自分に生かしていく必要がありますよ。

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国語言葉の意味

【慣用句】「馬の耳に念仏」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「馬の耳に念仏」について解説する。

端的に言えば馬の耳に念仏の意味は「忠告しても無駄」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元国語塾講師でことわざが好きなライターのトミー先生を呼んです。一緒に「馬の耳に念仏」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/トミー先生

元国語塾講師で、通信教育で英語と国語の「赤ペン先生」などもやっていた。実はドイツ語が得意で、外国語を学ぶことにより国語を理解するのに役立つと実感している。「馬の耳に念仏」について、語源と意味と使い方を自分でしっかり理解できるよう、わかりやすく解説していく。

「馬の耳に念仏」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「馬の耳に念仏」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。この慣用句の読み方は、「うまのみみにねんぶつ」ですが、さて、馬にお坊さんが念仏を聞かせたら、どうなるでしょうか。ありがたい念仏に馬が心を揺り動かされて悟りを開く、などということはありませんね。

ということで、馬には何を言っても通じないということから、「馬の耳に念仏」は、どんな忠告にも耳を傾けない愚かな人を嘲笑して用いることわざなのですね。

「馬に念仏」の意味は?

「馬に念仏」には、次のような意味があります。手元にある辞典には、次のように書かれていますね。

馬にありがたい念仏を聞かせても無駄である。いくら意見をしても全く効き目のないことのたとえ。馬の耳に風。馬耳東風。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「馬の耳に念仏」

馬の耳に念仏」は、どれほどありがたい念仏であっても、馬にとっては何の価値もないということですね。どんな忠告にも耳を傾けず、自分勝手な行動をする人を見かけたことはありませんか。もしかしたら、そういう人が周りにたくさんいるかもしれませんが、「馬の耳に念仏」として諦めるか、それでもなお説得しようと努力するか、いずれにせよ苦労させられますね。

「馬の耳に念仏」の語源は?

次に「馬の耳に念仏」の語源を確認しておきましょう。さきほど引用した国語辞典に、「馬耳東風」という四字熟語がありましたね。この表現は、「馬の耳に念仏」とほぼ同じ意味だと考えいいでしょう。「東風」とは「東の風」、つまり春風ですね。馬には、ありがたい念仏が理解できないように、冬が去ってようやく春になったこともわからない、ということですよ。

さて、この「馬耳東風」ですが、中国の有名な詩人である李白の詩に、「世の中の人はそんなに貴重なアドバイスを受け入れない、まるで馬耳東風のように」という意味の一節があるということで、それが由来ですね。李白はまさに「馬耳東風」を世間の人たちを批判する格言として用いていたわけです。

「馬の耳に念仏」の使い方・例文

馬の耳に念仏」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。これらの例文の「馬の耳に念仏」を「馬耳東風」と言い換えても、ニュアンスが少し違うだけで、意味はほとんど変わりません。

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