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「冠婚葬祭」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターが解説!

「元服」とは?

元服とは、奈良時代以降の日本で伝統的に行われてきた、成人したことを示すための儀式です。厳密には男性が成人したことを示すための儀式で、女性の場合は「裳着(もぎ)」という別の儀式がありました。

なぜ冠婚葬祭の「冠」が元服を示すかというと、元服の儀式におけるもっとも重要な意義が、冠を被ることだったからです。「冠位十二階」で代表されるように、かつての日本では冠がその人の地位を示していました。冠を被ってその地位を明白にし、社会の一翼を担うという意味が込められていたのです。

もうひとつ、元服では成人した男性に「諱(いみな)」が与えられます。諱はいわゆるファーストネームですが、当時の日本では軽々しく口外してはいけない名前でした。主君の名前の一部を諱に使うことも多く、主君とのつながりを示す大切な名前だったのです。現在、子どもに名前をつける際に親の名前の一部を使うのは、元服の名残だといわれています。

「元服」と「成人式」の違い

よく、元服は現在でいう成人式だといわれますが、実際には違う部分があります。大きく違うのは、元服の年齢が定まっていないところです。

現在の日本では、成人式はその年に20歳になる人を対象にした式典として行われています。元服では、多くの場合において10代の男性が対象になりました。それにはいくつか理由があるのです。

まず、昔の日本の平均寿命が現在よりもずっと短かったことが挙げられます。奈良時代では平均寿命が24歳と、今の大学生くらいの年齢が平均寿命だったのです。これは、医療技術の未熟さだけでなく、天候不順による不作の影響も大きかったとされています。元服が定着し始めた室町時代には不作に戦乱が重なり、平均寿命は15歳にまで落ち込みました。それだけ、若くして命を落とす人が多かったのです。

戦乱が続いたことは、元服の年齢が定まらない理由にもつながっています。元服を迎えないと主君のあとを継ぐことができないので、主君が戦死したら跡継ぎに早く元服させる必要があったのです。

また、元服した際に与えられる諱には主君との強いつながりが現われるため、政略的な元服が行われることも珍しくありませんでした。こうした事情も、元服の年齢が定まらない一因となったのです。

そのため、元服を迎える年齢には幅広いばらつきがあります。織田信長は13歳、徳川家康は15歳で元服を迎えましたが、徳川家康の息子である義直は7歳で元服を迎えました。

ここまでご紹介した元服にまつわる歴史でも明らかなように、もともと元服は武家社会の中でも上流階級でのみ行われた神聖な儀式でした。元服という儀式が定着し始めた頃は、武家や公家でない人間が元服という儀式を行う必要がなかったのです。

室町時代以降、元服は徐々に一般人の間にも浸透していきます。あわせて、元服の在り方も簡略化されていきました。元々は髪を結い、烏帽子を被せる厳粛な儀式でしたが、やがて月代(さかやき)と呼ばれる髪型を作る程度の内容に変わっていったのです。

「冠婚葬祭」を使いこなそう

今回、この記事では「冠婚葬祭」について、その意味や由来、使い方について説明しました。

日常生活に密着した言葉といえる「冠婚葬祭」は、様々なシーンで登場します。小説やエッセイなどの文章で普通に使われるのはもちろん、社会人のマナーとしても「冠婚葬祭」に関する知識が必要です。

「冠婚葬祭」という言葉だけでなく、この記事でご紹介した儀式についても覚えておくといいでしょう。

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