働く女性「職業婦人」が就いた職種は?仕事内容や現代への影響を元大学教員がわかりやすく解説
洋食メニューが発案されたレストランで活躍
私たちが今でも食べているような洋食を考案したのが他ならぬ昭和初期のレストラン。オムライス、ナポリタン、カツレツなどが提供され始めます。そこに来るお客さんに給仕する女性が「職業婦人」のひとつとされました。
喫茶店もまた時代の最先端をいく存在となります。コーヒーは江戸時代から飲まれていましたが、ほんの一部の人たちだけ。明治時代から喫茶店の先駆けとなるようなお店は存在していました。昭和初期になり「喫茶店ブーム」が到来。ウェイトレスの活躍の場が広がりました。
カフェのメイドファッションは「職業婦人」の名残
現在の日本では、ひらひらしたエプロンのコスチュームを着た人をメイドと呼びます。メイドファッションは、イギリスの上流階級が雇用した女性使用人に由来するもの。女性使用人は、主人とその家族の食事を含めた生活の世話をする立場でした。
そのときのコスチュームが日本のカフェのウェイトレスファッションとして定着します。もちろん、今のような「萌え萌え」ファッションではなく、もっとシンプル。時代の先端をいく洋服にエプロンを付けるカフェのウェイトレスのスタイルは、「商業婦人」のシンボルとなりました。
「職業婦人」の職業2:デパートガール
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西洋スタイルのファッションやメイクなどの情報発信基地として、昭和初期に存在感が増してきたのがデパート。そこで、接客したりデモンストレーションしたりする女性が雇用されます。彼女たちは西洋スタイルの服やメイクを提案するインフルエンサー的存在でした。
呉服屋から進化したデパートはファッションの情報発信基地
デパートという形態はヨーロッパやアメリカで定着したもの。小規模な店舗で売るのではなく、大型商業施設のなかで大量展示・販売する新しい小売業態のことを指します。デパートの定着により、ヨーロッパやアメリカの大量生産・大量消費がさらに加速しました。
日本でも、西洋文化の流入が後押しし、デパートが続々とつくられるように。大丸、髙島屋、そごう、松坂屋は元呉服屋さん。デパート形態を最初に確立したのが交通系の阪急百貨店です。そんなデパートで、最新のファッション情報を提供したのがデパートガールでした。
デパートの美容部員は最新のメイク情報を提供
さらにデパートでは、美容部員の先駆けとも言える女性たちが活躍します。それまでの日本人のお化粧と言えば白粉。西洋の最新のメイクの方法を、それに代わるものとして提案しました。もともと化粧品は男性店員により売られていましたが、1930年代に入ると女性が販売の担い手をなっていきます。
資生堂で最初に雇用された「ミス・シセイドウ」は9名。美容、接客マナー、セールストークのプロでした。さらに、美容科学、芸術、声楽にも精通。全国をまわって「近代美容劇」を上演し、観客である女性たちのもとで商品を宣伝しました。
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