現代社会

働く女性「職業婦人」が就いた職種は?仕事内容や現代への影響を元大学教員が解説

よぉ、桜木建二だ。「職業婦人」は昭和初期にあらわれた職業に就く女性の総称。男性社会であった当時の日本で、彼女たちはデパートやバスツアーなどの西洋に由来するサービス業で活躍した。会社で実用的な仕事をする女性社員やファッションモデルの先駆けとも言えるだろう。

それじゃ、当時の「職業婦人」がどこで、どのように社会進出を果たしたのか、時代の最先端を駆け抜けた彼女たちのモダンな姿を、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。日本の歴史をたどるとき「職業婦人」を避けて通ることはできない。主に昭和初期に活躍した彼女たちは、日本のサービス業の草創期を支えた存在だ。そこで「職業婦人」が従事した仕事内容を一覧化して詳細に解説する。

「職業婦人」となったのは時代の最先端を行く女性たち

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「職業婦人」とは昭和初期にあらわれた働く女性たちのこと。なかでも時代の最先端を行くモダンでおしゃれな女性たちのことを「職業婦人」と呼びました。「職業婦人」は、当時の時代の最先端を行く、世の女性たちの憧れの存在だったのです。

「職業婦人」のキーワードはモダンガール

「職業婦人」について理解する過程で、キーワードとなるのがモダンガール。これまでの日本の伝統とは異なるタイプの女性です。モダンガールの特徴は、西洋のライフスタイルを積極的に取り入れていること。おしゃれな洋服を着こなし、髪の毛はボブスタイル。海に行けば水着で男性の注目を集めました。

また「モダンガール」は、男性とデートをしたり、週末にパーティーを楽しんだり、お酒を飲んだりと自由奔放な一面も。そのため、昔からの風習を重んじる人からは「不謹慎」と思われました。モダンガールたちは西洋に由来する華やかなサービス業に従事するように。そこから「職業婦人」という言葉が生まれます。

『婦人倶楽部』などの雑誌の表紙を彩る時代の「華」

モダンガールにファッションやライフスタイルの情報を提供したのが女性向けの雑誌。そのような雑誌のひとつが講談社の『婦人倶楽部』です。大正9年に創刊されて人気の雑誌のひとつに成長。『主婦の友』『婦人公論』『婦人画報』と共に4大女性雑誌のひとつとなりました。

女性向け雑誌が提供する情報は、家計簿のつけ方、裁縫の仕方、料理など、家事に関わるものが中心。家で家事をする女性のための情報がメインでした。昭和初期になると、表紙にモダンガールのモデルが登場するように。モダンガールは時代を彩る「華」となりました。

よく「職業婦人」は女性の社会進出の先駆けと言われます。「職業婦人」は外で働く女性のことを指しますのが、これまで日本の女性は働いていなかったわけではありません。江戸時代、商いを担っていたのは女性。男性はむしろ外で遊びほうけてしました。また、女性教師は明治初期から存在ます。農業や漁業においても女性は重要な働き手。「職業婦人」は、新しく登場したサービス業にて働く女性と捉えた方がいいかもしれませんね。

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「モダンガール」が生き生きと描かれた小説が谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』だろう。『痴人の愛』主人公であるナオミは、週末には男性とのデートやパーティーを楽しむ魅惑的な女性。文庫本も出版されているので、近くにあるライブラリーで検索してみてくれ。

「職業婦人」の職業1:ウェイトレス

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「職業婦人」が就いた職業のひとつがウェイトレス。働く場所は西洋風の食事やコーヒーを提供するレストランや喫茶店でした。レストランと喫茶店は、西洋風の食事や飲み物の大衆化を一気に推し進めた場所。いわば、新しい食文化の情報発信基地といえるでしょう。

洋食メニューが発案されたレストランで活躍

私たちが今でも食べているような洋食を考案したのが他ならぬ昭和初期のレストラン。オムライス、ナポリタン、カツレツなどが提供され始めます。そこに来るお客さんに給仕する女性が「職業婦人」のひとつとされました。

喫茶店もまた時代の最先端をいく存在となります。コーヒーは江戸時代から飲まれていましたが、ほんの一部の人たちだけ。明治時代から喫茶店の先駆けとなるようなお店は存在していました。昭和初期になり「喫茶店ブーム」が到来。ウェイトレスの活躍の場が広がりました。

カフェのメイドファッションは「職業婦人」の名残

現在の日本では、ひらひらしたエプロンのコスチュームを着た人をメイドと呼びます。メイドファッションは、イギリスの上流階級が雇用した女性使用人に由来するもの。女性使用人は、主人とその家族の食事を含めた生活の世話をする立場でした。

そのときのコスチュームが日本のカフェのウェイトレスファッションとして定着します。もちろん、今のような「萌え萌え」ファッションではなく、もっとシンプル。時代の先端をいく洋服にエプロンを付けるカフェのウェイトレスのスタイルは、「商業婦人」のシンボルとなりました。

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昭和初期、カフェのウェイトレスのスタイルは洗練された流行の最先端。メイドファッションというと「レトロ」なイメージがあるが、まったくの正反対だった。喫茶店で出会ったウェイトレスに一目ぼれする男性も多く、かなりモテる存在だったらしい。

「職業婦人」の職業2:デパートガール

日本橋店(日本橋高島屋S.C.):本館は重要文化財
Kakidai投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

西洋スタイルのファッションやメイクなどの情報発信基地として、昭和初期に存在感が増してきたのがデパート。そこで、接客したりデモンストレーションしたりする女性が雇用されます。彼女たちは西洋スタイルの服やメイクを提案するインフルエンサー的存在でした。

呉服屋から進化したデパートはファッションの情報発信基地

デパートという形態はヨーロッパやアメリカで定着したもの。小規模な店舗で売るのではなく、大型商業施設のなかで大量展示・販売する新しい小売業態のことを指します。デパートの定着により、ヨーロッパやアメリカの大量生産・大量消費がさらに加速しました。

日本でも、西洋文化の流入が後押しし、デパートが続々とつくられるように。大丸、髙島屋、そごう、松坂屋は元呉服屋さん。デパート形態を最初に確立したのが交通系の阪急百貨店です。そんなデパートで、最新のファッション情報を提供したのがデパートガールでした。

デパートの美容部員は最新のメイク情報を提供

さらにデパートでは、美容部員の先駆けとも言える女性たちが活躍します。それまでの日本人のお化粧と言えば白粉。西洋の最新のメイクの方法を、それに代わるものとして提案しました。もともと化粧品は男性店員により売られていましたが、1930年代に入ると女性が販売の担い手をなっていきます。

資生堂で最初に雇用された「ミス・シセイドウ」は9名。美容、接客マナー、セールストークのプロでした。さらに、美容科学、芸術、声楽にも精通。全国をまわって「近代美容劇」を上演し、観客である女性たちのもとで商品を宣伝しました。

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エレベーターガールもデパートの発展と共に登場した職業だ。前にテレビで今でも活躍しているエレベーターガールの特集を見た。日本橋高島屋や西武池袋本店など老舗のデパートで出会うことができるそうだ。ちなみに西武池袋本店のユニフォームはピンクだ。

「職業婦人」の職業3:バスガール

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Kōyō Ishikawa – 「石川光陽写真展図録」, パブリック・ドメイン, リンクによる

今でいうバスガイドという職業も、昭和初期の「職業婦人」と切り離して考えることはできません。大衆の娯楽として遊覧バスが登場。それに女性車掌が乗車するようになります。襟付きのハイカラなワンピースは当時の女性の憧れのユニフォームとなりました。

「職業婦人」のなかでもバスガールは特に知的な存在

1925年に東京乗合自動車がバスガイドを採用しますが、最初は男性。しかし、豊富な知識を必要とする職業のため高い給料が要求されました。そこで白羽の矢が当たったのが女性。1928年に大分県別府市にある亀の井遊覧自動車が初めて女性のバスガイドを採用します。

男性のバスガイドを採用していた東京乗合自動車もバスガールにチェンジ。全国にバスガールを乗車させる遊覧バスが広まりました。戦後になりますが、1949年には「はとバス」の運行も始まります。もちろん女性のバスガイドによりスタートしました。

バスガールと共に「別府地獄めぐりツアー」は発展

バスガールが担ったのが観光案内。「別府地獄めぐりツアー」の場合、遊覧バスに乗って自然湧出の源泉=地獄をめぐります。それらに関わる情報を、バスガールが独特な七五調で案内しました。今ではバスガイドの定番である「右手をご覧ください」という表現は、この当時からあったようです。

別府温泉の掘削が盛んに行われるようになったのは昭和初期。鉄輪地獄(1922年)、龍巻地獄(1923年)、無間地獄(1924年)、鶴見地獄(1925年)と、「地獄」が続々と出現します。観光案内の担い手であったバスガールは、とくに地方の開発と密接に結びつきながら広まっていったと言えるでしょう。

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1920年2月2日は、東京市街自動車の乗合バスにて、日本で初めてのバスガールがお目見えした日。それにちなんで、2月2日は「日本初のバスガールの日」とされているそうだ。砺波に彼女らの初任給は35円。当時としては、なかなかいいお給料をもらっていた。

「職業婦人」の職業4:電話交換手

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日本の新たな通信手段として登場した電話。その草創期は、電話で話すためには電話回線に接続する必要がありました。その役割を担ったのが「交換手」。男性の交換手もいましたが、どちらかというと女性がなることが多い職業でした。彼女たちは「職業婦人」の代表格となります。

電話の誕生と共にあらわれた交換手

世界で初めて電話交換手が採用されたのは1878年のボストン。もともと若い男性を雇用していましたが、態度がよくないと言われ、女性が雇用されるようになります。女性は電話応対が男性よりも丁寧で、賃金も少なくて済むため、電話交換手は女性の職業として定着しました。

日本では1890年に電話サービスが始まります。明治23年のことでした。当初の電話交換台は手動。交換手を介してつなぐ形でした。それが徐々に自動化されるようになり、電話したい相手にかけるには電話番号が必要となります。それに伴い、ダイヤルが付いた電話機が登場しました。

高度なコミュニケーション能力が求められた職業

電話交換手が求められたのは高度なコミュニケーションスキル。当初は男性が担っていた交換手が女性に変わったのは、女性の方がコミュニケーション能力が長けていたからです。電話をかけている人に丁寧に対応し、相手の意図を正確できる女性が重宝されました。

草創期の電話にはダイヤルはなし。受話器を上げるとそのまま交換手につながるシステムでした。口頭で「誰につないでください」と伝えるため、瞬時に取次先を理解する機転が大事。電話交換手は、電話の相手に丁寧に対応しながらスムーズに接続させる、頭の回転の良さが必須だったのです。

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「職業婦人」を代表する電話交換手は1960年代ごろまでいたようだ。戦後、市内通話はほとんど自動化されていたが、市外通話は交換手を介する必要があった。市外通話の全自動化が定着したのは、意外にも最近の1970年代後半だそうだ。

「職業婦人」の職業5:タイピスト

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By MohylekOwn work, CC BY-SA 3.0, Link

オフィスワークに関連する「職業婦人」の代表がタイピストです。タイピストは文字通りタイプライターで文字を打つ仕事。高度なパソコンスキルを持っている女性と言えるでしょう。

タイピストとして事務員になる「職業婦人」が増加

昭和初期の日本は、経済が発展するにつれてオフィスが増加。それに伴い事務員のニーズが高まります。オフィスの雑用をする事務員とは別に雇用されたのがタイピスト。タイプライターを打てる女性は、一般的な事務員よりもやや格上に位置づけられました。

タイピストになるためには、専門の養成学校でトレーニングを受けます。今でいう職業訓練校みたいな場所。そこを卒業すると企業に就職、晴れてタイピストとなります。タイピストのニーズは高く、就職には困らなかったようです。

高度なスキルと知性が求められたタイピスト

タイピストは文字を打つだけではなく、原稿を校正する能力も求められました。もとになる原稿は手書きや口頭であるため、分かりにくい、つじつまが合わないなどの問題が発生します。それを見極めながら仕上げることもタイピストの大事な仕事でした。

さらに欧米の資本が流入する日本では、翻訳原稿をタイプライターで打つこともしばしば。そんなときタイピストは、翻訳ミスを見つけて確認することも求められました。知性と教養も、タイピストとして必要とされたのです。

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タイピストは高度なスキルと知性が必要だったため、誰でも目指せたわけではなかった。「職業婦人」のなかでは手の届きにくい仕事だったようだ。その点、デパートガールやバスガールの方が身近な職業だったようだな。

「職業婦人」は昭和初期のモダンな女性の働く姿

「職業婦人」は、自営業や奉公ではなく、契約による正規雇用された女性たち。女性会社員の先駆けとも言えよう存在でした。現代には「職業婦人」に関連する仕事が意外と多く残っているものです。エレベーターガールやバスガールは「レトロ」な職業として注目されますが、昭和初は流行の最先端。デパートに行く機会があったら、昭和初期の客になった気分で「職業婦人」に由来する仕事を見てみましょう。きっと、現代社会がより生き生きとした空間に見えてくるはずです。

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