島村抱月と芸術座を旗揚げ
逍遥のもとを離れた島村抱月と松井須磨子は1913年に劇団・芸術座を旗揚げします。一緒に旗揚げしたのは、相馬御風、水谷竹紫、沢田正二郎、秋田雨雀などでした。
相馬御風は早稲田大学の校歌である「都の西北」の作詞者。澤田正二郎は当時の人気役者のひとり、秋田雨雀は童謡作家でした。さまざまなジャンルの創作家と共に劇団・芸術座は公演活動をはじめます。
松井須磨子が評価されるきっけけとなった『人形の家』はノルウェーの劇作家であるヘンリック・イプセンの戯曲。ひとりの女性が「ひとりの人間」として新しい生き方に目覚めるまでの経緯を描いた社会派の作品です。男性の保護のもと生きる女性の「自立の物語」と言われることも。2度の離婚を経験し、妻子ある抱月と行動を共にする須磨子の意生き方と重なる作品です。
主題歌『カチューシャの唄』のヒットにより流行歌手に
もっとも成功したのがロシアの文豪であるトルストイ原作の『復活』でした。原作を翻訳したのがパートナーの抱月。須磨子は主人公のカチューシャを演じました。『復活』のなかで須磨子が歌った歌が「カチューシャの歌」。これが爆発的にヒットします。作詞は抱月、作曲は中山晋平でした。
レコード化された「カチューシャの歌」は、人々に広く歌われる流行歌となります。当時、蓄音機は一般家庭に普及していませんでした。それにもかかわらず「カチューシャの歌」は2万枚を売り上げるまでに。須磨子は日本初の女性流行歌手となった言えるでしょう。
日本初の偉業を成し遂げた松井須磨子
松井須磨子は、日本で初めての歌う女優、流行歌手というように、日本の芸能史で初めでと言われる偉業を達成しています。その他、日本で初めてロシア帝国で公演を成功させる、レコード発禁の憂き目に合うということもありました。
ロシア帝国のウラジオストクで公演を成功させる
1915年、松井須磨子はパートナーの島村抱月と一緒に、ロシア帝国のウラジオストクを訪れます。当時のロシア帝国はロマノフ王朝時代の末期。社会主義を目指すロシア革命が起こるちょうど2年前のことでした。
日本における須磨子の代表作のひとつがトルストイの『復活』。トルストイはロシア文学を代表する小説家です。トルストイの舞台を成功させたことが縁で、プーシキン劇場でロシアの劇団との合同講演を行うことが実現。この公演は見事に成功をおさめました。
レコード『今度生まれたら』は日本初の発禁レコードに
また、1917年に発売したレコードである『今度生まれたら』が発禁騒ぎになるということも。この曲は、芸術座による公演『生ける屍』の劇中歌として作られました。北原白秋が作詞したこの曲の一文である「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」が大問題になります。
当時の文部省が、この歌詞を「不適切」であると判断。そのため『今度生まれたら』は発禁レコードとなり、須磨子の幻の作品となります。『今度生まれたら』は日本の芸能史で初めての発禁レコード。須磨子は意図せずに日本初の発禁レコード歌手となりました。
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