
便器をアートに変えたマルセル・デュシャン
マルセル・デュシャンは、既成芸術に対する異議申し立てをユニークな手法で表現した芸術家です。生まれはフランスですがアメリカで活動し、1950年代にはアメリカ国籍を取得しました。デュシャンは芸術に対する疑問から、作品らしい作品をあまり作っていません。代わりに彼が熱中したのが「レディ・メイド」と言われる方法です。
「レディ・メイド」とは、すでにある商業的な商品などに手を加えて作品化する手法。デュシャンの代表的作品となる『噴水』は、男性用の便器に署名をしただけの作品です。ニューヨーク・アンデパンダン展に匿名で出品。しかし、作品なのか何のか分からず、議論を巻き起こすこともなかったようです。
マン・レイはダダイズムを写真で表現
もう一人のニューヨーク・ダダの重要人物となるのがマン・レイです。マン・レイは、ダダイズムからシュルレアリスムの流れを作ったアーティストでもあります。彼が得意としたのが写真の撮影技術の応用。レイヨグラフ、ソラリゼーションなどの技術を使った作品を発表しました。
マン・レイはデュシャンとこうどうを共にする時期も。1921年には、デュシャンと一緒に「ニューヨーク・ダダ」誌を創刊しました。その後、フランスに渡って創作活動をするなかでシュルレアリスムと出会い、その運動に参加するようになります。第1回シュルレアリスム展では、同時期にシュルレアリスムに傾倒していたパブロ・ピカソとも共演を果たしました。
ベルリン・ダダの中心的アーティスト
I, Ondřej Žváček, CC 表示 2.5, リンクによる
ニューヨーク・ダダと同じ時代に派生したのがドイツのベルリン・ダダです。ニューヨークとくらべると現代でも有名なアーティストは少ないのですが、その後のナチス・ドイツの台頭を批判する芸術家も多いことから歴史的に重要な存在となりました。
諷刺画家として名高いジョージ・グロス
ジョージ・グロスはドイツ生まれの画家で、諷刺的な画風に大きな特徴があります。第一次世界大戦の志願兵として参戦するものの、戦争の実態に幻滅。ドイツの民族主義に異議を申し立てるために自分の名前を英語読みのジョージ(George)に変えます。
ジョージ・グロスの作品は、戦争の無意味さや人間の生活そのものなど、あらゆるものに疑問を投げかけました。あらゆる対象を変形させ、ときとして母国であるドイツの姿を皮肉たっぷりに描きます。社会主義に傾倒してドイツ共産党に入党した時期も。政治活動と創作活動をセットに行うタイプの芸術家でした。
ジョン・ハートフィールドはナチス批判に向かう
ジョン・ハートフィールドは、ドイツのベルリンを拠点に活躍した写真家で、ダダイストとしても活動しました。彼の写真家としての功績はダダの代名詞とも言えるフォトモンタージュの手法を完成させたこと。多くの写真家が採用したコラージュではなく、切り貼りした跡が全く分からない精巧な作りが彼の作品の特徴でした。
フォトモンタージュのテーマの大部分はナチスの政策を批判するもの。彼の作品はドイツ共産党のプロパガンダ誌であるAIZの表紙をたびたび飾りました。ジョン・ハートフィールドはナチス批判を積極的に行ったことから、特定の場所に居を構えることはせず、各地を転々としていたと言われています。
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