それじゃ、ダダイズムの芸術家たちが行った創作活動の歴史やその社会的に意味について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- ダダイズムとはどのような芸術運動?
- 運動が活発化したのは第一次世界大戦の最中
- 戦争の無意味さや愚かさを問うダダイスト
- 「ダダイズム」という名前の由来は?
- フランスの詩人トリスタン・ツァラが命名
- スイスのチューリッヒでダダイズムを創立
- ダダイズムは人間の理性に疑問を投げかける
- ダダイストは反戦系と風刺系に分かれる
- 写真の芸術的可能性を高めたのもダダイストたち
- ニューヨーク・ダダの中心的アーティスト
- 便器をアートに変えたマルセル・デュシャン
- マン・レイはダダイズムを写真で表現
- ベルリン・ダダの中心的アーティスト
- 諷刺画家として名高いジョージ・グロス
- ジョン・ハートフィールドはナチス批判に向かう
- アンドレ・ブルトンとの決別によりダダイムズは失速
- ブルトンの誘いによりダダはフランス・パリに拠点を移す
- 1924年の「シュルレアリスム宣言」の起草によるブルトンの決別
- ダダイズムの精神は現代にも引き継がれている
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。芸術史をたどるとき「ダダイズム」を避けて通ることはできない。第一次世界大戦の最中に始まった「ダダイズム」は、とくにアメリカのニューヨークで活発化した。ダダの芸術家の手法と、その後の影響を解説していく。
ダダイズムとはどのような芸術運動?
ダダイズムとは1910年代の半ばごろから活発になった芸術運動のことを指します。戦争に対する批判的精神から、伝統的な価値観の破壊を、創作活動を通じて実践しました。ダダイズムは、ひとつの国におさまることなく、アメリカ・ヨーロッパを中心に世界的に広がっていきます。
運動が活発化したのは第一次世界大戦の最中
ダダイズムが始まった1910年代半ばは、ちょうど第一次世界大戦が開始された時期。第一次世界大戦は、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟とイギリス・フランス・ロシアの三国協商のあいだの対立から広がった戦争です。戦争の勃発により、ヨーロッパは広域にわたって戦火に見舞われました。
第一次世界大戦は、とくに若い芸術家の心に大きなインパクトを与えます。ニュース映画などで戦争を目の当たりにする、兵役につくために創作活動を中断する芸術家も少なくありませんでした。地球で初めて起こった世界的な戦争は、芸術家の心を揺さぶる衝撃的な出来事となっていきます。
戦争の無意味さや愚かさを問うダダイスト
第一次世界大戦を通じて若い芸術家たちは、戦争の無意味さや愚かさを感じ取るように。同時に、これまで信じてきた伝統的な価値観にも疑問を抱き始めます。この伝統的な価値観のなかには、美術の歴史や伝統的な絵画の手法も含まれました。
そこで若い芸術家たちが起こした行動が、これまでの既成の概念にとらわれない、新しい芸術を生み出すこと。最初は、伝統的な芸術のルールに沿いながら創作活動をしていたものの、第一次世界大戦が終わるころには、より開放されたかたちとなりました。
「ダダイズム」という名前の由来は?
By Unknown – Richard Huelsenbeck, Editor. Dada Almanach. Berlin: Erich Reiss Verlag, 1920, insert following p. 128. The International Dada Archive, The University of Iowa Libraries, Public Domain, Link
「ダダイズム」に括られる芸術運動は、自然発生的にアメリカ・ヨーロッパで起こっていました。そのため、どの時点でダダイズムが始まっているのか、はっきりさせることはできません。具体的に命名されたのは1916年の「ダダ宣言」と言われています。
フランスの詩人トリスタン・ツァラが命名
フランスの詩人であるトリスタン・ツァラが、いくつかの新しい芸術運動の流れを「ダダ」と命名したというのが定説。辞典から適当に見つけて命名したのが「ダダ宣言」だったと言われています。トリスタン・ツァラは、このような経緯から「ダダイズムの創始者」と位置づけられました。
ツァラ自身は、ルーマニアの北部で生まれたユダヤ人。裕福な家で育てられた人物です。彼はもともと象徴主義の影響を強く受けており、実験的な詩を書いていました。その後、彼は偶然性を重視するより挑発的なパフォーマンスに興味を持つようになります。
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