今回はペニシリンの発見者として名高いフレミングについて紹介していこう。

医療の歴史においても重要な役割を果たした人物であるフレミングは、どんな生涯を送ったのでしょうか?フレミングの代表的な研究成果であるペニシリンとリゾチームについてもあわせて解説します。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに来てもらった。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

アレクサンダー・フレミング

今回の主人公は、イギリスの医師であり細菌学者でもあったアレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming)。ペニシリンやリゾチームの発見者として知られ、医療の世界に大革命をもたらした人物です。

生涯

フレミングは1881年にスコットランドのエアシャーで生を受けました。

早くに父親を亡くした彼は成長してロンドンに移り住み、王立科学技術学院で勉学に励みます。卒業後、数年は商船外車ではたらきましたが、1903年にロンドン大学に入学し、医師を目指しました。フレミングの兄がすでに医師になっていたため、同じ道を選んだようです。

大学卒業後は、アルムロス・エドワード・ライトという細菌学者の助手として、セント・メアリーズ病院のワクチン研究所に勤務します。ライトは腸チフスワクチンの開発などに成功した人物であり、免疫の研究でも有名です。

第一次世界大戦が1914年に勃発すると、フレミングは軍に招集されます。ライトともにしばらくの間、戦場の病院ではたらくことになりました。傷ついて帰ってくる兵士が感染症にかかり、ひどい状態で亡くなってく姿を目の当たりにした彼は、より良い感染症の治療法を研究したいと思うようになります。

Synthetic Production of Penicillin TR1468.jpg
Official photographer - http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib//32/media-32192/large.jpg This is photograph TR 1468 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, リンクによる

戦争が終わって研究に復帰したフレミングは、細菌の繁殖を抑えることのできる物質を2種類も発見することに成功しました。それが、1920年ごろに見つけたリゾチームと、1928年に見つけたペニシリンです。

とくにペニシリンは、細菌の繁殖を抑えることのできる強力な薬剤として珍重されました。第二次世界大戦の際にはペニシリンのおかげで多くの兵士が救われたといいます。

1940年にフローリーとチェーンという科学者がペニシリンの精製に成功し、高純度のものが得られるようになったことも追い風となり、第二次世界大戦終結後には軍だけでなく一般の医療現場でも使われるようになりました。

Faroe stamp 079 europe (fleming).jpg
パブリック・ドメイン, リンク

ペニシリンの発見や感染症の研究が評価され、フレミングはフローリーとチェーンとともに1945年にノーベル医学生理学賞を受賞します。受賞理由は「ペニシリンの発見、および種々の伝染病に対するその治療効果の発見」でした。

1951年からの3年間はエジンバラ大学の学長も務めましたが、1955年に心臓発作で死去します。73年の生涯でした。

image by Study-Z編集部

\次のページで「リゾチーム」を解説!/

リゾチーム

フレミングの研究でもっとも有名なのはペニシリンの発見ですが、それよりも先にリゾチームを発見していることを忘れてはいけません。

リゾチームは細菌(グラム陽性菌)のもつ細胞壁を破壊することができる酵素の一種です。私たち人間の場合は、唾や鼻水、涙などにこのリゾチームが含まれています。これによって口、鼻、眼から侵入しようとする細菌をある程度殺菌することができるのです。

リゾチームが細菌にはたらく際には、その細胞壁が溶かされていくように見えます。そのため、リゾチームのことを溶菌酵素とよぶこともあるんです。また、リゾチームには溶菌作用がある、などということもあります。

リゾチームの発見は全くの“偶然”によるものでした。ある日、細菌を培養したシャーレ(ペトリ皿)を使って作業していた時のことです。シャーレの蓋を開けているとき、フレミングは盛大にくしゃみをしてしまいました。

ところが数日後、そのシャーレをのぞいてみると、フレミングの唾や鼻水がかかったところだけで細菌が死んでいます。これに気づいた彼は、ヒトの唾や鼻水に殺菌効果のある物質=リゾチームがあることを見出したのです。

現代では、リゾチームは卵白から精製され、医薬品や食品添加物として広く利用されています。加工食品に添加すると細菌の繁殖を抑えられるため、保存料の一種として利用されるんですね。

ペニシリン

ペニシリンのように、ある微生物が作り出し、他の微生物の繁殖を抑えるような物質のことを抗生物質といいます。ペニシリンはアオカビという菌類が作り出す抗生物質の一種です。

細菌のもつ細胞壁の主成分はペプチドグリカンという物質。ペニシリンはペプチドグリカンを合成する酵素のはたらきを阻害します。すると、細胞壁がどんどん薄くなり、最終的に細菌が死んでしまうのです。

image by iStockphoto

このペニシリンの発見にも、“偶然”の力がはたきました。

1928年、フレミングが研究室の片付けをしていた時のことです。彼は、以前にブドウ球菌という細菌を培養していたシャーレを処分しようとしていました。そのシャーレは状態が悪く、ブドウ球菌以外の菌類が入り込んでカビが生えた状態。とても使い物にならなそうなシャーレだったのですが…フレミングはあることに気づきます。そのカビの生えた周囲にだけ、ブドウ球菌が繁殖できていなかったのです。

「ブドウ球菌の増殖を抑える物質をカビがつくっているかもしれない」と勘づいたフレミングがそのカビを液体培養し、その培養液を濾過した液体(=カビの本体が含まれていない液体)を得ました。予感は的中。濾過した液体にも細菌の増殖を抑える同様の効果があることが確かめられたのです。

ブドウ球菌のシャーレに生えていたカビはアオカビであり、濾過した液体の中に含まれていた物質こそペニシリンでした。世界初の抗生物質の発見です。

\次のページで「“偶然”とフレミング」を解説!/

image by iStockphoto

こうして細菌による感染症がペニシリンによって抑えられるようになったのですが…しばらくすると、細菌の中にはペニシリンに耐性を持つもの(薬剤耐性菌)が現れるようになりました

すると研究者は、ペニシリン耐性をもつ細菌にも効くような新しい薬剤を作り出します。しかし、その薬剤にも大勢をもつ細菌が現れて…というように、細菌と抗生物質や薬剤の関係はいたちごっこの状態です。

最近は、耐性菌が現れる可能性を十分考慮し、抗生物質をむやみに使用しないことが大切であるといわれています。

“偶然”とフレミング

奇跡のような“偶然”によって大きな功績を残したフレミング。彼には運の良さもありましたが、それ以上に鋭い観察眼をもった人物だったことが発見につながりました。

「小さな変化を放っておかない」「偶然を見逃さない」…当たり前のように大切なことですが、これをやろうとするとなかなか難しいですよね。

ノーベル賞も受賞したフレミングはまごうことなき一流の学者でしたが、次のような謙虚な言葉も残しています。

”Nature makes penicillin; I just found it.”
(ペニシリンは自然がつくった。私はそれを見つけただけだ。)

" /> ペニシリンの発見者・フレミングとはどんな人物?現役講師がわかりやすく解説 – Study-Z
理科生物生物の分類・進化

ペニシリンの発見者・フレミングとはどんな人物?現役講師がわかりやすく解説

今回はペニシリンの発見者として名高いフレミングについて紹介していこう。

医療の歴史においても重要な役割を果たした人物であるフレミングは、どんな生涯を送ったのでしょうか?フレミングの代表的な研究成果であるペニシリンとリゾチームについてもあわせて解説します。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに来てもらった。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

アレクサンダー・フレミング

今回の主人公は、イギリスの医師であり細菌学者でもあったアレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming)。ペニシリンやリゾチームの発見者として知られ、医療の世界に大革命をもたらした人物です。

生涯

フレミングは1881年にスコットランドのエアシャーで生を受けました。

早くに父親を亡くした彼は成長してロンドンに移り住み、王立科学技術学院で勉学に励みます。卒業後、数年は商船外車ではたらきましたが、1903年にロンドン大学に入学し、医師を目指しました。フレミングの兄がすでに医師になっていたため、同じ道を選んだようです。

大学卒業後は、アルムロス・エドワード・ライトという細菌学者の助手として、セント・メアリーズ病院のワクチン研究所に勤務します。ライトは腸チフスワクチンの開発などに成功した人物であり、免疫の研究でも有名です。

第一次世界大戦が1914年に勃発すると、フレミングは軍に招集されます。ライトともにしばらくの間、戦場の病院ではたらくことになりました。傷ついて帰ってくる兵士が感染症にかかり、ひどい状態で亡くなってく姿を目の当たりにした彼は、より良い感染症の治療法を研究したいと思うようになります。

Synthetic Production of Penicillin TR1468.jpg
Official photographer – http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib//32/media-32192/large.jpg This is photograph TR 1468 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, リンクによる

戦争が終わって研究に復帰したフレミングは、細菌の繁殖を抑えることのできる物質を2種類も発見することに成功しました。それが、1920年ごろに見つけたリゾチームと、1928年に見つけたペニシリンです。

とくにペニシリンは、細菌の繁殖を抑えることのできる強力な薬剤として珍重されました。第二次世界大戦の際にはペニシリンのおかげで多くの兵士が救われたといいます。

1940年にフローリーとチェーンという科学者がペニシリンの精製に成功し、高純度のものが得られるようになったことも追い風となり、第二次世界大戦終結後には軍だけでなく一般の医療現場でも使われるようになりました。

Faroe stamp 079 europe (fleming).jpg
パブリック・ドメイン, リンク

ペニシリンの発見や感染症の研究が評価され、フレミングはフローリーとチェーンとともに1945年にノーベル医学生理学賞を受賞します。受賞理由は「ペニシリンの発見、および種々の伝染病に対するその治療効果の発見」でした。

1951年からの3年間はエジンバラ大学の学長も務めましたが、1955年に心臓発作で死去します。73年の生涯でした。

image by Study-Z編集部

\次のページで「リゾチーム」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: