氏姓制度の問題点
推古天皇の時代で有名な政策その2……それは冠位十二階で、604年に誕生した日本で初めての階級制度です。これも冠位十二階の文字が示すとおり、12段階に分けた階級に対してそれぞれ色をつけたもので、朝廷内における序列を決めることを目的に作られました。
作成したのは聖徳太子や蘇我馬子ですが、ただ冠位十二階は高句麗や百済などの制度を参考にしたものと言われています。当時、朝廷には氏姓制度というものがあり、朝廷に仕える一族に対して「氏」と名付けられていました。今回の解説でたびたび登場する「蘇我氏」もこれに該当していますね。
また、身分の高さに応じた「姓」の名前も与えられました。例えば、有力豪族に与えた「臣」は有名ですね。さて、氏姓制度の問題点は2つあり、1つは「氏」に与えられた「姓」が親から子へ引き継がれたこと、もう1つは個人ではなく一族に与えられたものだということです。
有能な人材の登用を可能にした冠位十二階
氏姓制度の問題点は、例えば次のような事態を招きます。仮に朝廷に仕える同じ一族の位を分けようと思った場合、それを肩書きで示すことができません。何しろ氏姓制度では一族全てに同じ「姓」が与えられたため、その一族の中で上下を分けることができなかったのです。
また、親から子へ引き継がれることから、例えば子が優秀でなくても親が優秀なら高い地位につけてしまうでしょう。このような問題点を解消したのが冠位十二階であり、冠位十二階は一族ではなく個人に与えられるようにしたのです。それも親から子へ引き継がれないため、有能な人材にだけ冠位を与えることが可能になりました。
冠位の名称は「大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智」の順になった12段階で、それぞれの冠位に対して色も割り当てられています。ただし、具体的な色の割り当ては明らかになっておらず、様々な諸説があるものの、いずれも確実なものではありません。
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